日記

自己嫌悪する。テキストを書いていると、後々自己嫌悪することがよくある。自分のテキストがどうにも、恥を誘発させる装置になっている気がしてならない。

ただこれはテキストというよりは、自分が何かをアウトプットして、それが褒められることよりも、否定されたことの方が多いからこういうことになってしまうのかもしれない。子供の頃から、勉強やら運動など世間に認められることで褒められてきた人間はスペックの高い人間になりやすい。僕はそのどちらもなく、ただゲームと漫画とアニメと小説にはまるだけの毎日で、それらをやっていて褒められたことなど一度もなかった。ただ現実があまりに厳しいので、その逃避のためにやっていたにすぎなかった。

ただそう言ったインプットから生まれるものもあるだろうから、僕の趣味の話なんぞをすればいくらか褒めてくれる人もいるかもしれない。その初めての褒めを受け取って、それを原動力にしていけば僕もスペックの高い人間になるかもしれない。

しかし若い時分ももう終わりに近づいている。褒めて伸びる機会もこれで最後かもしれない。今のうちに褒められるようなことをしておかないと、社会に出てからキツイことになるだろう。

それはエンジンとガソリンなしで長い道のりを走ることのと同じようなことだからだ。だから今必要なのは成功体験だ。成功して、それを誰かに賞賛されるという、成功者が幼児期に起きたであろうプロセスをこの歳にして、自らのコントロール下で起こすのだ。

しかしそのためには、成功と他者が必要だ。成功はエンジン。他者はガソリンだ。どちらも僕にはないもので、今までないままでここまで来てしまった。エンジンもガソリンもないままで、どうやってこの長い人生という道のりを進んでいけばいいのだろうか。

いや、だろうかなどと疑問を呈している場合でもない。今すぐ成功して、いますぐ褒めてもらうのだ。そのために会社にインターンに行くというのはアリだろう。そしてインターンで認められるためには、プログラミングの技術が必要だ。だからいまは一人孤独部屋に引きこもってコードを書いているのがいい。良いコードを書けるようになれば、良い成果物を出せば、みんなが褒めてくれる。その褒めを原動力にして、さらに良いものを作るようになれば、僕はようやく社会に認められる。

この長い人生という道のりを、自らの足で歩むことができる。

頑張ろう。

日記

なんか適当に書いてくか。ベッドに横になって書いてる。ま、多分読み手の君たちもベッドに大抵横になってアイフォンでみているだろうから、どっちもどっちだろう。きちっとしてパソコンの画面で見ている人がいたら先にすまんと言っておきたい。

確か化物語に出てくる忍野メメが、ケータイ苦手って言ってた理由に、電話している相手が、会話しているのにベッドで横になって、不真面目な姿勢を取っていそうで嫌だ、みたいなこと言ってた。意外に繊細なんだなと、ありゃりゃぎさん(失礼、噛みました)は評してたけど、僕も大して気にしない派だな。

そこらへんはデジタルネイチィブとの違うと言えるだろう。それと西尾維新はネットをやらないって言ってたし、まあ作家なら資料集めくらいにしか使わないくらいがいいだろう。作家なんてのは物語を作るためだけの装置なわけだから、SNSをやってファンとの交流!!なんてことをやっている連中は職人とは言えない。

インデックスの作者もツイッターやっとらんし、閾値を超えた作家はただ作品を作ることに集中している。ツイッターに夢中になっている作家がいれば、売れていないから、あるいは要領がいいかのどっちかだろう。僕は作家は作品だけに集中して、より良いものを作って欲しい派の人間かな。ま、ツイッターの発言に注視してしまう僕もいるのだけれど。

 

ところで、最近はプログラミングの勉強をやっている。やっているのだけれど、はかどっているかというと、そうでもない。教室の通ったけど途中で鬱が発生して、あまりやらなかった。そして今はネットにあるコンテンツを使って勉強している。そろそろ就職のことを考えないといけないのだが、その仕事で使える実力がついているとは言えないので、少し困っているところだ。カリスマプログラマーになっていると、アフォメーションしつつやっているが、どうなることか。大事なのはなっているという状態に臨場感を抱くこと。これは忘れてはならぬ。なっているなっている。

 

 

勉強するべき時間に、ブログを書いているのは単に気晴らしだ。人気ブロガーになれば結構な金と地位を手に入れられるのだろうけど(つっても上限が数千万規模だから、動画勢の数億規模に比べらたら市場の桁が違っていて、あまり夢がないなあとも思うが)、僕はあまり他人の承認を必要としない人間で、さあ才能に目覚めようでも内省が一番に出て、さもありなんと思った次第だ。

 

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

 

 

しかし、話は変わるがクラシック音楽は非常にいいものだ。今書いている最中にも音楽が流れていて、心が癒されている。前は鬱で死にたいと思っていたこともあったが、クラシック音楽を聴き始めてあまり思うことも少なくなった。ここ1年くらいでハマったにわかだし、作曲家も曲名もろくに覚えちゃいないけど、だからこそ純粋に音楽を楽しめるとも言えるだろう。

特に好きでも嫌いでもない作曲家などに興味はなくて、ただ音楽を作るための装置だとしか思っていないからこそ、なんのバイアスもなく音楽を楽しむことができる。

モーツァルトやベートーベンなんかが、ツイッターをやっていたら、作曲家が好きかどうかで、曲の良し悪しを決めてしまうことになる。それは作り手にとっても受け手にとっても不幸なことだろう。

例えばこんなのとかさ。

モーツァルト「猫キャワワ」

ベートーベン「さすがに草生えるwww」

地獄だ。そんなの知らねえっつの。

何度も言うけど、クリエーターは作ってなんぼの人種だ。僕は人の作り出した創作物は愛しているが、人には興味がない。人なんていう不純物だらけのものをなぜ好きになるのか。ろ過して美味しくなった創作物の方を僕は食べたい。だからクリエーターが創作物に介入して、不純物を混入させるなんてことはあってはならない。

だから本のサイン会っていうは本当にわからない。作家にあって何が楽しいのだろうか。本は本で楽しむべきだし、作家に会ったりサインをもらたって何も楽しくないし、本が不味くなるだけだと思うのだがね。

そういう意味でも、クラシック音楽は、不純物なく食べられて、毎日が楽しいよ、っていう話だ。

 

 

以上。さて勉強すっか。

人を馬鹿呼ばわりするのではなく、余裕のない人だと呼ぼう

貧すれば鈍する、という言葉通り、人は貧乏になれば途端に馬鹿になる。

 

この場合、僕の中にある馬鹿の定義とは、自分の人生を幸福にするために最適な行動ができないことを指す。本やネットや人と接するのは、幸福になるための情報を入手するためのだと言っていい。例えば、価格ドットコムで比較すればより安いものが買えるし、勉強本を読めば、勉強方法がわかって、良い大学に入り、ホワイト企業に入れて、安定した収入のおかげで、子供を産んでその教育費を払えるということもあるだろう。だから幸福になるための行動を取るためには、幸福情報強者になることが手っ取り早い。

 

だが、その幸福情報を得るための行動をするための情報を得ることが、貧困の家庭だとできないことが多々ある。

 

スタートすら切れない人間がかなりいる。こと勉強においては始めるための2割が労力が、全体の8割の成果を支えていると言っていいからだ。

 

そして、現状において、人は生まれながらに平等ではなく、家庭や環境によって、裕福か貧乏か決まる。

 

つまり馬鹿な人間には二通りあって、裕福でありながら馬鹿なのか、それとも貧困によって貧乏になってしまったのかということだ。それらはちゃんと分けられるべきだし、後者にはちゃんとした教育や職業訓練の場を与えられるべきだろう。

 

だから僕は誰もが皆無料で最高の教育を受けられる状態にするべきで、その状態になって初めて、平等な競争は担保され、その上で人々は切磋琢磨し、この世界に付加価値をもたらすものになると信じている。

 

しかし、こう言った当たり前の事実を無視しているのか、知っていながら意地悪で言っているのか、多分マウントをとって自分の利己的な欲求を満たすためなのだろうが、潤沢な教育費の上で利口になった人間が、そうでない人間を馬鹿呼ばわりするということがよくある。

 

そういう人たちに言いたいのは、あなた方は一体何のおかげで頭が良くなれたのか、そのことをお考えですか?ということだ。この世界が不平等であることは、歴然立つ事実だ。生まれた時からもう無理ゲーっていうこともよくある。

 

綺麗事で、説教くさいかもしれないが、知性は人のマウントをとって自尊心を満たすための道具ではない。賢者はその知性を他者のために使う人間であり、貢献こそが人間の原初的な欲望であり、それを満たすことがその人の真の幸福へとつながる。

 

他者を見下す人間に救いがあるとは思えない。

 

まあ、僕も結構やってしまうから人のことを言えないのだが、少なくとも環境が恵まれて利口になった人間が、環境に恵まれず馬鹿になってしまった人間を、本当の馬鹿と一緒くたにして、馬鹿呼ばわりするのはいかがなものかと思う。

 

だってそれってただの強者の言葉じゃないか。文化的な資産を持つ人間な、ない人間を踏みつけているようにしか僕には思えない。仮にそれができる資格を持つ人間がいるとしたら、同じ文化的な資産がない状態から這い上がったマッチョな人間のみだろう。

 

努力をしたものが報われると説得力を持って発言できる人間がいるとしたら、それは人類で最も不幸な人間に限られる。そんな人間にふさわしい人間は「Gattaca」の主人公ヴィンセントだけだろう。だから僕は「Gattaca」が好きなのだ。

 

 

遺伝子によって、人間の知能の半分は決まっているものとされている。だけど、遺伝子のせいにして、自分がやりたいことを諦め、自分の人生を放棄してしまうことほど不幸なことはない。

 

環境させあれば、最高の教育と、最高の家庭と、最高の友達があれば、最高の人間が出来上がるはずだという希望がなければ、人は努力することができない。

 

未来の日本において、そんな最高の環境が平等に恵まれているかもしれないが、今はまだ生まれながらの環境で人生が左右される状態にある。

 

ならば馬鹿な人を見かけたならば、その人を馬鹿にするのではなく、推定無罪の形で、余裕のない人間だと呼ぶべきだと僕は思う。

 

少なくとも、少しでも恵まれていると自覚のある人間ならばそうするべきだろう。

それこそが健全な社会である、と僕は思う。

 

貧困クライシス 国民総「最底辺」社会

貧困クライシス 国民総「最底辺」社会

 

 

タレントのファンはもっと理性と良心を働かせてうまく金と関心を使って人類の幸福に貢献したらどうだろうか

こういうの見るたびによく疑問に思う。人気者が金があって友達がいてきっと恋人もいるリア充にも関わらず、ファンはその人気者に貢いでいるのはなぜなのか、ということだ。

だっておかしいじゃないか。彼ら人気者はもうすでに、十分すぎるほど金も名誉も地位も得ているはずなのに、ファンはさらに金と時間を彼らに注ぐ。これによって社会的強者はさらに力をつけていき、格差社会をさらに広がることになる。彼らファンは、金だけでなく時間までも搾取され、気がつかないのか。

タレントのファンには、時間や金を差し出す相手がどういう状態にあるのか、ということを考慮しない人間があまりに多すぎる。

先日も、某ウェストフィールド芸人が、お見舞い品はいらないとかなんとかで、騒動を起こして、ファンの中の意見で「一つくらいもらってやれや、荷物にならんだろ」と発言していたようだが、いやいやあなただけが上げるわけじゃなく、複数の人が贈り物をするのだから、荷物になるに決まってるだろ、と芸人は反論していて、大衆の想像力のなさにほとほと呆れていた。

 

彼らはこの世界にスターと自分しかいないとでも思っているのだろうか。タレントにとって、あなたはファンの一人でしかなくて、みろゴミのようだと、あなたたちを群衆として見ているというのに。

 

ただ、彼らを弁護するなら、面白い人間魅力のある人間を、注目する機能が、そして好きになってしまった人間に、奉仕する機能が、遺伝子レベルで、備わっているせいで、あのようにタレントに貢ぐことをやってしまうのも事実だ。注目を集める人間ほど、遺伝子を残しやすいから、その人間に魅かれるのも当然のことだ。なので、遺伝子のせいだと言えばその通りだ。

 

けど僕からすると、それは蛾の持つ走光性に過ぎない。月の光を頼りにして、蛾は夜の飛行を可能にするための、性質が走光性だ。だが、その性質を利用して、飛んで火に入る夏の虫、という言葉通り、誘蛾灯に群がってくる蛾を殺戮するように、タレントを利用して、低所得者から搾取するというのが、彼らのやり口だ。

 

だけどあなたたちは蛾なんかじゃなくて、人間でしょう。ならちゃんと理性を働かせて、自分を幸福にするために頑張りましょうよ。遠くにいるタレントなんかじゃなくて、友達や家族や恋人に注目しましょうよ。そっちの方が、絶対幸福になりますよ。

 

ましてや、遠くにいるどうでもいい人間が、不倫したとかなんとかに一喜一憂して、馬鹿げた週刊誌を買うのもやめにしましょうよ。そのお金で野菜とか栄養のあるもの食べた方が、絶対幸福になりますよ。

 

そして自分が幸福になったら、周りに困ってる人がいたらその人を助けてあげましょうよ。

 

これらを意識するだけで、人類の幸福は上がる、と思うんですけどね。

 

幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論

幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論

 

 

けものフレンズ私論、という名の妄想。ジャパリパーク、それは人類が至る楽園

けものフレンズが流行っている。ってことで、その流行に乗って、何かしら書いて行こうかな。

 

結論から言うと、けものフレンズにおけるじゃがりパークとは、はるか未来の人類が産み出した楽園であり、人類の約束された地ってことだ。なぜその結論に至ったのかを大いに語っていこうかね。

 

フレンズはもともと人間だった

フレンズたちは本当にいい子たちばかりだ。純粋で、素直で、かわいいやつらばかりだ。癒される反面、彼女たちを見ていると、僕たち人類がどれだけ汚れた存在なのかを意識させられてしまって、見ていて正直辛い。

ここで考えるのは、もしかすると、我々人類が到達するゴール地点とは、彼女たちフレンズなのではないかということだ。

人類には知能があっても、その知能を争いのために使う、なんとも愚かな種族だ。

こんなことなら、初めから知能などない方がマシではないか。知能などなくて、毎日わーい!たーのしー!と本能の赴くままに、仲良く生きられればそれが最高ではないか。

 

そのために人類フレンズ化計画は発足された。

f:id:Shinrei:20170313121114p:plain

 人類補完計画 - EVA Wiki*

 

なぜフレンズはIQが低いのか?

わーい!たーのしー!

カワウソちゃんのように、滑り台に滑るだけで喜べるほどIQが低くなってしまうことに、人類の誇りである知能を失うことに抵抗はある。しかしはたして知能は人類の幸福に貢献したのだろうか。そうとは言えないだろう。原爆を日本に落とすくらいなのだから、人類の知恵というのもその程度のものだ。そして知能が人間にもたらした厄災はそれだけでないのだ。

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

かつて学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だったと宣言していた。彼らは、人類の頭脳の力を原動力とする、次のような進歩の物語を語った。進化により、しだいに知能の高い人々が生み出された。そしてとうとう、人々はとても利口になり、自然の秘密を解読できたので、ヒツジを飼い慣らし、小麦を栽培することができた。そして、そうできるようになるとたちまち、彼らは身にこたえ、危険で、簡素なことの多い狩猟採集民の生活をいそいそと捨てて腰を落ち着け、農耕民の愉快で満ち足りた暮らしを楽しんだ。

だが、この物語は夢想にすぎない。人々が時間とともに知能を高めたという証拠は皆無だ。狩猟採集民は農業革命のはるか以前に、自然の秘密を知っていた。なぜなら、自分たちが狩る動物や採集する植物についての深い知識に生存がかかっていたからだ。農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量を増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。もともと人類は知能を得たことによって、不幸になった。

サピエンス全史において、知能は人類の繁栄には貢献したが、個人を幸福にすることがなかった、ということが書かれている。

ちょうどアダムとイブが知恵の実を食べたことで、楽園から追放されたように、人類は知恵をつけたことで、不幸になったのだ。

 

ではその不幸になる知恵により、科学を推し進めていった先に何があるのだろうか。僕はそれがフレンズでありジャパリパークなのではないかと、考えた。

 

人間を遺伝子改良か何かしらの未来の技術によって、人類自身をフレンズ化させ、自ら知能を捨てることによって幸福に至る道を歩んだのだ。なぜIQが低いのかと問われれば、幸福になるためだからだ。

 

遥かなる未来。人類は、自らの理性によって生み出した科学で、自らの理性を奪うことで、アダムとイヴが暮らしていたあの楽園へと舞い戻ろうとしたのだ。

 

ジャパリまんが配給されることにより、飢えというものがなく、誰もが仲良く生きることができるジャパリパークは、かつてアダムとイブがいた楽園なのである。

 

ようこそ楽園へ。welcome to Eden

 

 

……てなことを妄想してた。ま、もうすでに人間がフレンズになったのではなく、動物がフレンズになったことは明らかで、完全に間違いなんだけどさ。

 

ま、でも面白い妄想ではあるだろ?こういう妄想を膨らませることができるから、アニメはやめられないんだよな。

時計を見たときのぞろ目多すぎじゃね?

ノートパソコンで作業をしていると、右上のデジタル時計で、時たま時間を確かめる。そのときによくよくよく、何度も何度も、デジャブかってくらいに、ぞろ目を見る。

 

4:44って言うのが出てくると、結構不吉だ。

 

今さっき見たのはAM3:33だった。最近は昼夜が逆転してしまっていかんね。反省だ。

しかし気になるのは、その確率だ。一体どの程度の確率で、ぞろ目が出るものなのだろうか。

例えば2個のサイコロであれば、36通りのうち、6通りがぞろ目なので、確率は6分の1だ。希少とも頻出であるとも言えるだろう。

では時計の場合、ぞろ目はどの程度の確率なのだろうか。

 

典型的な人間の例として、午前7時に起きて、午後11時に寝る人間がいるとしよう(すげー健康的。つーか、学生の頃は毎日こんな生活送ってたんだよな、懐かしい)

 

午前中は11:11を除いて、ぞろ目をお目にかかることはない。7:77も8:88も9:99ないからだ(違う時間軸にいる)。10:10はぞろ目とは言えないだろう。そして正午の0:00、そこから1:11、2:22、3:33、4:44、5:55と、ゾロ目に会う機会に恵まれる。6:66、7:77はなしだ。時空を超えてる。

 

健康的な人間(健康くん)は11:11、0:00、1:11、2:22、3:33、4:44、5:55を1日にお目にかかる機会がある。11:11を見るのは夜更かししているということだ。いちにち8時間寝ないとね。

 

とここで考えるのは、僕が健康くんではないから、ぞろ目を見る回数に恵まれている(?)ということになるのではないか。

今僕は昼夜が逆転してしまって、だいたい午前1時に起きて、午後6時に寝るということをやっている。これのおかげで(せいで)健康くんよりも見る回数が多くなってしまっているのではないだろうか。

 

数えてみよう。

 

健康くん

11:11、0:00、1:11、2:22、3:33、4:44、5:55の計7個

1:11、2:22、3:33、4:44、5:55、11:11、0:00、1:11、2:22、3:33、4:44、5:55の計12個

 

多!!!!

 

単純に僕が昼夜逆転しているから、普通の人よりも見る回数が多いということがわかった。なるほど、多すぎじゃね?、という疑問は実際見る回数が多かったことが判明した。

 

……つーか、こういうのって、単にゾロ目が揃っているのが印象に残っているだけで、実際はそんなに見ていなかったりする。錯覚ってやつだ。

 

なんにせよ、昼夜逆転を治したいものだ。睡眠の重要性!!

 

スタンフォード式 最高の睡眠

スタンフォード式 最高の睡眠

 

 

それだけ。

 

以上。

ドリンクバーが好き。数百円で最高の幸福を味わえる超最強ライフハック

ドリンクバーが好きだ。ドリンクバーが大好きだ

 

ドリンクバーの何が好きかって、その選択肢の多さだ

どれだけ選択肢があるか、どれだけの自由があるかが、幸福に繋がると言われるが、様々飲み物がたった数百円で飲み放題というのは、限定的ではあるが、この世界にあるすべての飲み物を選び放題になる自由を手に入れるということになる。この状態はなかなかに居心地がいい

コーラやメロンソーダなどの炭酸類もいいが、コーヒーや紅茶などのホット落ち着く飲料もいい

 

夏の日照りを浴びた後で、乾いた喉を潤す炭酸の味は格別だ

冬の寒さに凍えた後で、体を芯から温めるコーヒーの味は格別だ

 

さーて、頼んだことだし、何を始めにこのカラカラの喉を潤すにふさわしいかねぇ、と選んでいるときが、最高に幸福だ

 

飲み放題、と言うとバイキングなどの食べ放題でもいいではないか、と指摘されそうだが、あいにく僕の近所にはそんな洒落たものはない。ココスが一軒あるだけだ。それに食べ放題だと、食べ過ぎてしまって、お腹に悪いだろ。あと太る

 

飲み放題ならば、飲みすぎても大して太ることはない。ただし、尿が止めどもなく出ることになるが、それを差し引いても、様々な飲み物が飲めるというのは、僕にとって幸福だ

 

個人的に一番好きな飲み物は、イチゴオレにさらに牛乳を加えて、イチゴオレオレにすることだ。合成着色料いっぱいのイチゴもどきだとしても、やはり甘いものは美味しい。つい飲み過ぎてしまう

だから、バランスと取るために、野菜ジュースを飲む。野菜ジュースも甘くて美味しい。……野菜を食べたほうがいいのだろうが、やはり億劫だ。甘くて美味しいジュースだと飲む気になる。健康に良くないのかもしれない、ということは承知の上で

 

でもいいだろう?

ドリンクバーは健康じゃなくて、楽しむためのものなんだからさ

 

あとドリンクバーで外せないのは、いろんな飲み物を混ぜることだ。飲むという快楽を味合う上で、ドリンクバーは差別化がなされている。個人的にはコーラとメロンソーダの炭酸コンビと、野菜ジュースとオレンジジュースの健康コンビ、それといちごオレとキャラメルの激甘コンビが僕は好きだ

他にも、すべてのジュースを混ぜる、なんていう、ゲテモノ闇鍋的飲み物を作るのもいいかもしれない。すべて飲むのなら、へんてこな味を楽しむのも一興だろう

 

科学の発展によって、特に窒素肥料の開発によって、全人類が養えるだけのカロリーが提供できるようになった。だから、先進諸国においては食べることは栄養補給のためではなく、娯楽のためになっている。ドリンクバーを飲むたびに、人類の英知に感謝の言葉を捧げたくなる

 

反面、カロリーに摂取しすぎて、特にアメリカなどでは、肥満が大問題になっている。食べることを娯楽にするのもいいが、何事もやりすぎはダメだ

その点、ドリンクバーは水分が大半なので、食べ過ぎよりは幾分かマシだろう。野菜ジュースやミルクなどを飲むようにすれば、栄養も取れる

 

僕は一時期90キロくらいにまで太っていたが、ドリンクバーを主食にすることで、10キロくらい痩せることに成功した。ドリンクバーダイエットだ

 

だから幸福になって、さらに痩せることができるドリンクバーは最強のライフハックなのだ

 

それと、一緒にドリンクバーを楽しむことができる彼女がいれば、超最強になるのだが、あいにくとそんな都合のいいことはない。一緒にキャッキャウフフ、といちごオレを同じコップでストローで飲みあいっこする、ということをいつかやってみたい、と甘い妄想しながらも、コーヒーをすする

 

まったく苦い人生だぜ

人生はドリンクバーのようにはいかない

いつか僕にも女の子というシュガーをかけられる人生が来るのだろうか

 

ヒルス リッチブレンド(粉) AP 750g

ヒルス リッチブレンド(粉) AP 750g

 

 

寝不足アンドカフェイン中毒という、超ハイな状態でテキスト書くぜ!!

https://i.ytimg.com/vi/uXX6AVOBsPY/hqdefault.jpg

最高にハイってやつだー

 

ジョジョの奇妙な冒険 

 

f:id:Shinrei:20170309130053p:plain

ははははははは!!!

 ゆゆ式

 

f:id:Shinrei:20170309130626p:plain

カフェイン中毒だー

ご注文はうさぎですか? 

 

ってな感じで

理性の欠片のない、爬虫類になってテキストを書くぜ!!

 

誰も寝てはならない、ってか寝てないの俺だけ!!!


ポールポッツ『誰も寝てはならぬ』

 

ポールポッツいいよね!!

聞くだけで超泣ける!!

落ちこぼれだった人間が、唯一自分が好きなもので、現実逃避のための道具だった好きなもので、大逆転して大成するって超夢あるなぁ!!

俺もあやかりたいぜ

 

でもでもでも今は寝かせて、寝たい、寝る時、寝れば、寝よう、でも寝かせない!!だって深夜のテンションで書くもんね

 

深夜っつっても、今昼間だけど、1時の飯時だけど、平日の昼間社会人が働いてる中で、俺っちってばブログ書いちゃうもんね

深夜のテンションだもん

 

ああ、気分がいいなあ、鬱だった状態が嘘みたいだピヨ

そして頭が最高にフル回転して、キーボードがハッカドールだじぇ

 

今日も1日にかんばるぞい!!!

ってかハッカドールの方ががんばるぞいが早かったぞい、なんだよな。でもぞいっていうならデデデ大王の方が早かったぞい。我輩の勝ちなのだ

 

ああ、今ならなんでもできる気がする。あとで後悔するとわかっていてもなんでもできる気がする。だって最高にハイってやつだからなぁ!!ハイハイハイハイで超速移動だってできちゃうもんねー。あんよが上手あんよが上手

もう寝る時間だよ。ママンママン、お歌を聴かせて、子守唄を聞かないとねれないでちゅー。バブバブバブー

 

ポール「誰も寝てはならぬ

 

うわああああああああああ、寝れねえエェェェエエ!!!!

 

でも眠い眠い眠い、でも起きてたい。そして文章書きたい。文章書くの楽しい。でも楽しいのは今だけだ、今だけは頭クルクルパーでかけるからだ

 

現実に直面すると、この世界から抜け出さなくてはならない。現実の中にいると、文章も現実に寄ったものになる。今は夢ごごちで書けてるけど、一晩寝て覚めたら現実にいて、厳しい現実にいていていていて

 

うわああああああああああああああ、寝たくねええええええエェェェエエ!!!!

 

寝たら明日になる。明日になったら、現実に直面する。寝なければ直面しなくて済む。いや、その理屈はおかしい。このまま起きてたら、さらに頭がおかしくなって、おかしな怪文章を量産することになる

 

でも寝たくないんだよオォォォオォオォ!!

 

うわあああんまりだぁぁアァァァ!!!

 

www.youtube.com

 

寝ます。昼夜逆転してたから、カフェインとって、そのままんま起きたまんまにして一周させて通常に戻したかっただけ。これはちょっとした暇つぶし

 

そんだけ

 

以上

 

 

論より情動。批判の99%はただのディスり!!!

この世界の批判のほとんどはただてめーが気に入らねぇ、だ

この世界には批判が満ち溢れている。政治家がどうだ、芸能人がどうだ、炎上がどうだ、若者がどうだ、老人がどうだ、批判批判批判。最近だと、けものフレンズによって、オタクが動物園に行ったことを批判する人間がいた。

 

そして批判する人間は決まってこういうのだ。それによって被害者が出たらどうするんだ、と。

 

だがそれはただのオブラートに過ぎない。自分の言いたいことを、他者が迷惑するという形で代弁しているに過ぎない。言説の代理戦争をしているに過ぎない。

本当はこう言いたいんだ。

 

てめーが気に入らねぇ。俺様が気に入らねえから、やめろ

 

批判はすれども責任は取らず

誰もが皆自分の欲望に突き動かされて行動する。細菌でさえ、甘い食べ物に惹かれて、苦い食べ物は避けるという。自分に都合の良い甘い言説に飛びつき、都合の悪い苦い現象に対しては、ただディスを叩き込む。だが自分がディスっているとなると、自分もまた批判と対象となる。自分の言動に責任が伴ってしまう。

それを避けるために、大衆は被害者が出てしまうんだぞ、と責任の所在をぼかす。自分はみんなのために批判するいい人間だという、アピールをする。そしてほとんどの人間は、その誰かの迷惑になるという、幻想すがり、本当のところは自分が気に入らないと思うことを代弁してくれた人間を賞賛する。責任は取らないまま、自分のストレス発散のために、ディスるのだ。

 

ディスりエンタメの使い手が儲かる仕組み

自分の言えないことを言ってくれる、そこに痺れる憧れるぅ!!な、気にいらねーの代弁者を僕はディスりエンタメの使い手と僕は呼んでいる。ユーチューバーや実況者が、楽しいの面白いという褒めるエンタメだとするなら、彼らはディスりを得意とする。

彼らディスりエンターテイナーは、会社や政府や芸能人の分かりやすくディスりやすいものを分かりやすくディスる。頭の悪い大衆は分かりやすいものに惹かれて、爬虫類脳を働かせて反射的ににリツイートとシェアをする。気にいらねーという感情を代弁してくれてありがとう。共感共感共感、シェアシェアシェア、動物的に欲望を満たす大衆だ。その大衆から注目と金を奪うのが、ディスりエンターテイナーの狙いだ。共感させ、感情を高ぶらせ、相手の判断力を鈍らせ、金を使わせようとする。

こうして、代弁者とその信者の間で、格差は広がることになるのだ。

 

批判は人類には早すぎる

ところでみんなはディベートというものをご存知だろうか。トゥルーマンロジックに基づいて議論することだ。詳しくは以下の記事を。

議論の技術-トゥールミンモデル(ロジック)の使い方-6つ論理とは? | インプロ部

トゥールミンロジックは、以下6つの【根拠】【主張】【論拠】【裏付】【反証】【強度】の論理で構成されています。以下、定義です。

【根拠】:Grounds:主張を支える理由・根拠
【主張】:Claim:根拠から展開されるひとつの主張
【論拠】:Warrant:根拠が主張を支えている理由
【裏付】:Backing:論拠が間違っていないことを示す根拠
【反証】:Rebuttal:反証可能性
【強度】:Qualifier:論理の強さ、定性的な正しさ

 上のルールに基づいて、より確からしいものを見出そうとするのが、ディベートだ。ディベートにおいて重要なのは、情動を排して論理に依るという態度だ。この情動を排するという行為が、大衆には難しいだろう。ただ動物的に欲望の赴くままに動くのが大衆だ。だからタレントが政治家になるなどという狂気の沙汰としか思えないことが起こる。それはディベートの情動を排するという態度を習っていないからだ。

ネットの台頭によって、誰もが皆情報を得て正しい判断ができるという未来を描いた本があったが、それは夢物語だった。人は見たい情報しか見ず、言いたいことしか言わない。より確からしいものを見つけようとする学者的な態度は誰も持ち合わせてはない。

だから騙され搾取される。誤った人生を歩むことになる。そうならないためにも、情動を排して、理知的な判断をすることが重要なのだ。

 

情緒から論理へ (ソフトバンク新書)

情緒から論理へ (ソフトバンク新書)

 

  リングの作者が論理の重要性を説いたもの。おすすめ。

 タイトルはいかがわしいが、内容はちゃんとしたもの。キンドルアンリミテッドで読めるので、ぜひ。

99%の会社はいらない (ベスト新書)

99%の会社はいらない (ベスト新書)

 

 99パーセントなんてんなわけねーだろ、考えられるのがディベートだ。

ネットでミッキーマウスの着ぐるみを着よう。現代における生存戦略とは

かつて人は繁殖するために目立とうとした

分かりやすいものが、情動に訴えかけるものが、その人の魅力になる。大昔において、それは音楽でありダンスだった。そして今最も人を惹きつける存在とは、ユーチューバーだったりゲーム実況者と言えるだろう。彼らは商品だったりゲームだったりを肴にして楽しそうに笑い、消費者を面白おかしくしてくれる。なぜ我々は彼らを楽しむのかといえば、それが遺伝子に根ざしたものだからだ。

誰かが楽しみ笑っている姿を見ているだけで、共感能力が働いて、快楽物質が出るようになる。そんな快楽物質を出すための、トリガーとなっている人気者は、誰もが注目し、賞賛を浴びせ、ことによって金までを払うことになる。それが搾取されるゴミだとも気付かず。

 

人気者のファンはみんなゴミになっているということに気づかない

僕がよく思うのは、タレントのファンたちは自分がゴミになっているということに自覚がないのかということだ。ゴミというのは、天空の城ラピュタムスカが言ったように、あまりにたくさん群がって右往左往しているからゴミだという意味だ。僕がそう思っているわけじゃない。ファンのあなた方が崇拝しているタレントこそが、あなた方がゴミに見えているという話だ。

どいつもこいつもどいつもこいつも、自分のことが大好き、愛している、なんてことを聞いていたら、自分のファンなどどうとでもできるゴミに見えるのは当然のことだ。

そんな社会的地位について金もある人間をさらに肥えさせるんじゃなくて、そんな貢ぐ金があるならば、もっと恵まれない人間に募金する方が、よっぽど効率的に人類の幸福度が上がるだろう。

欲にまみたバカが、欲にまみれたクズに増長させるという光景を目の当たりにしていると、ほとほと人間というやつに絶望してしまう。

 

時間というもっとも大切なものをドブに捨てるな

ネットの台頭によって生まれたものとして盛る文化が挙げられるだろう。つまりリア充アピールというやつ。自分が楽しいかというよりも、自分が楽しそうな雰囲気を切り取り、発信することで、人々の注目を得るという現象だ。さながらミッキーマウスの着ぐるみを着ているかのように、ハハと笑って、道化師になりみんなを笑わせて笑わせて、金と人気と地位を得る。

ユーチューバーや実況者がそれらを得ることができたのは、人を注目させる装置を自分から切り離して、広大なネットという大会に泳がせることによって、自動的に自分たちに注目と金という希少価値のあるものを、手元に入るようにしたからだ。

忘れがちかもしれないが、金だけでなく注目も価値のあるものだ。無料で動画が見れるからといって、あなたは時間というもっとも大切なものを失っていることを忘れてはならない。あなたがもっと注目するべきなのはあなたの近くにいて大切な、家族や友人や恋人だということを忘れてはならない。

 

ならば我々がミッキーマウスになろう。あざとさ力を鍛えるのだ

しかしファンではなく、タレントやカリスマになるというのなら、ネットほど便利なものはない。動画やテキスト、自分の創作物を見てもらう場はいくらでもあり、消費を全くしない貧乏人は、ネットのコンテンツをより見るようになるだろう。馬鹿にでもわかる着ぐるみを着て、馬鹿みたいに振る舞えば、馬鹿どもが寄ってくる。そうすれば100人に一人くらいは金を貢ぐようになる。

だから盛る文化であるネットを最大限利用して、盛って盛って盛って、笑って笑って笑って、共感共感共感させて馬鹿ども判断力を奪った上で、消費を促せば、うまいこと貢がせることができる。

あざとさで攻めて攻めて攻めまくるのだ。ハハ、ぼくミッキー。

あなたはキャラクターだ。あざとさに特化したキャラクターだ。可愛くカッコよく媚びても、大衆は気にしない、きゃーかわいいかっこいい抱かれたい、と脳死状態になってあなたを賞賛する。馬鹿にろくな判断能力など備わってなどいない。

しかし1億総ミッキーマウス社会、とはいかない。誰もが皆タレントになることはできない。生産と消費は、非対称でなければならない。上位20パーセントのカリスマとファンしか、この世界に入らない。だから成り上がろう。ミッキーマウスになろう。

そして金と人気と地位を得て、そして繁殖をしよう。

 

それこそが現代における生存戦略である。

 

 

 

『シッコ SiCKO』感想。人の命を金勘定してはならない。長谷川豊の患者自己責任論は間違っている

シッコ [DVD]

シッコ [DVD]

 

 

『シッコ SiCKO』観た。よくできたドキュメンタリー映画で非常に勉強になった。今回はその感想をば。

  

この映画には、たくさんの被害者が出てくる。自分で自分の傷を縫う人、取れてしまった指を戻せなかった人、家を手放さなくてはならなくなった人、老後になっても働く人、保険に入れなかった人、入れても治療してくれなかった人。そして極め付けは、治療を断れた末に、死んでしまった幼児。

 

なぜこのようにたくさんの被害者が出てしまうのだろうか。

 

答えは簡単だ。人の命を金勘定しているからだ。

そのことを如実に表しているのが、保険会社が医者に治療をさせないことで、儲けているというシーンだろう。

ここでは、優秀な医長とは、保険会社に儲けさせる医者のことであるという。なんと審査の10パーセントは否認しなければならない、という決まりがあるのだが、これは普通に考えておかしいだろう。さらに、もっとも高い否認率を出した医者にボーナスを出す、なんて言うのは言語道断だ。ここには医者が仕事をしなければしないほど、儲かるという負のインセンティブが働いてしまっている。審査は治療が必要かどうかで判断されるべきで、儲かるかどうかで判断してはいけない。

保険給付が医療損失という専門用語が使われ、契約者に保険金を払わないことで、利益を得ている。保険会社が金儲けのことしか考えていないことは明らかだ。

治療を拒否された挙句に、夫を亡くした人のインタビューなどは、思わず涙を流し、怒りが湧いてくる。あまりに酷すぎる。

 

それに対して、アメリカとは対称的に、医療が無料なカナダ、イギリス、フランス、キューバの取材などが取材では出てくる。とりわけ、イギリスでは、患者が健康になれば、ボーナスが出るという正のインセンティブが働いているという。これによって医者の本分を全うできる。これこそがあるべき姿だろう。アメリカでは審査を拒否することに、良心の呵責を覚え、保険会社がやってきたことを告発する医者が出てきたが、こんなことはあってはならない。

 

ではなぜ人の命を金勘定しているのだろうか。

 

これも答えは簡単だ。それが資本主義だからだ。

資本主義は全てのものが金に変えることができる社会だ。『シッコ SiCKO』において、資本主義が医療を向上させ、社会主義では逆に衰退してしまう、といった言説がプロパガンダによって洗脳されてしまう、といったシーンがあった。誰もが健康保険に入れるように、ヒラリークリントンが推進したが、政治家と企業の利権のために、封じられたという歴史的背景があったという。

 そして利権と既得権益を得ている彼らは決まって、貧乏なのは自己責任で、だから医療費が払えないのは自己責任だとする。強者が、弱者を搾取している構図が明らかなのを知った上でだ。

 

翻って、日本を考えてみると、長谷川豊の透析患者は自己責任なのだから殺せ、という発言を、僕は自己責任と聞くと、思い出す。

そもそも、憲法によって基本的人権が守られているのだから、自己責任以前の問題として、それは憲法違反である。仮にその論法を貫き通したいのであれば、憲法改正を試みるのがいいだろう。ま、僕はそんな憲法は絶対に嫌だから、やったとしたら全力で反対するが。

人間が人間らしい生活をするうえで、生まれながらにしてもっている権利を、基本的人権といいます。日本国憲法では、「基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」によって確立されたものであり、「侵すことのできない永久の権利」として保障しています。  

基本的人権の尊重

 この理念には誰もが賛同するだろう。そしてこの理念を実行するために動くのが国家であり、政治である。教育や医療や防衛や治安など、公共の利益のために貢献するという大義を執行するという契約のもとで、国民は税金を払う。それは利益のためならば何だってやる企業ではできないことだ。

医療は受けれるかどうかは自己責任である、ということが議論として出てくること自体が、いつの間にか経済効率の論理が全てに優先する社会になっているということの証拠である。だから政治家は理念のためではく、私利私欲のために金で買収され、税金が国民の幸福のためにではなく、社会的な強者の懐へと入ってく。こうして格差はますます開くことになる。

 

この流れを止めるためにはどうすればいいだろうか。

 

これも答えは簡単だ。そのための民主主義である。

かつて資本家たちが金によって、権力を持ち始めた時、その抑止力となったのは、公共の利益のために働く政治家であり、その政治家を選ぶ投票権だった。だから社会的な弱者ほど、どの政治家が公共の利益のために働いてくれるのかを判断する審美感が必要になる。

しかし現状、その審美眼は腐っていると言わざるえないだろう。なぜなら、今選ばれる政治家とはタレントのことを指すからだ。仕事ができるかではなく、自分が好きかで判断する大衆に、僕なんぞはかなり絶望している。

この問題は解決するためには、大衆に啓発と啓蒙を促すことを地道に続けることだろう。つまり“Stay hungry. Stay foolish.”―「貪欲であれ。愚直であれ」ってこと。ま、hungryはともかくとして、foolishは普通にwiseでいいと思うよ。foolishが許されるのは大天才だけだろう。大衆の皆様は"Stay wise"「普通に賢くなれや」って話だ。

 

じゃあそのためにどうすればいいか。

 

これも簡単、……だと思う……多分。

まずはテレビを見るのを止めるところから。そして本を読もうね、と搾取される大衆の一人たる僕なんぞはアドバイスするよ。

 

そんなことを『シッコ SiCKO』を観て考えました。

 

テレビは見てはいけない (PHP新書)

テレビは見てはいけない (PHP新書)

 

 テレビを見るとアホになります。

スティーブ・ジョブズ I・IIセット

スティーブ・ジョブズ I・IIセット

 

意識TAKEEEEE!!なミーハー本でもいいから、活字を読む習慣をつけましょう。

思考の言語化、ラフ画、偉大な人間の偉大な創作物、古典読みたい

僕は言葉数の少ない人間のようだ。だがツイッターは苦手だ。いまいち140文字にまとめられない。というよりは、書いているうちに、だんだんと自分の言いたいことが想起される、のだろう。いきなり140字で言いたいことが出てこない。しゃ、しゃ、しゃと、これかな、これかな、と輪郭を作っていくことで、だんだんと自分の思考が言語化されるタイプの人間なのかもしれない。

ということは、ひたすら反射的に思い浮かんだことを、テキストにしていけば、いつの間にか、思考が表出するということになる。その状態にしたいがために、2000字に達するまで、ほとんど立ち止まらないようにしている。

例えば今僕がしていることはなんだろうか。ノートパソコンの前でカタカタと文字を打っている。机の前にあるのは、飲み終わったドクターペッパーの缶だ。そして今クラシック音楽を聴きながらタイプしている。

ここ半年くらいで、クラシック音楽にははまった。僕が尊敬している人が、クラシック音楽聞くと、頭が良くなるよーと言っていたので、聴くようになった。頭が良くなっているかはわからないが気分は晴れやかになり、体調は優れている。

エヴァ石田あきら(名前忘れた)だって「音楽はいいねー、音楽は人の心を癒してくれる。リリんの生み出した文化の極みだよ」みたいなことを言っていたのも頷ける。音楽は僕の心を癒してくれた。

何かいいものを作りたければ、偉大な人間が作った歴史に残るものを、何だっていいから見聞するといいみたいなことを、どこかの漫画家が言っていた気がする。高い抽象度でもって、神を表現しようとしたクラシック音楽は、創作をする上でいい刺激になるだろう。

偉大な創作物関連でいえば、古典も外すわけにはいかない。最近はカントを読んでいる。キンドルアンリミテッドで、古典が読み放題なので、この機会にすべて読みたいと考えている。

古典もまた、高い抽象度でもって造られた、普遍性のあることが書かれている。今はやりのビジネス書やら、ホットエントリーする記事など、一年も経たず誰にも忘れられてしまう。数千年単位で残り続ける、それらのテキストよりも何兆倍も優れていると言っていいだろう。

偉大な人間の偉大な創作物に触れること。多感な若い時分にやるべきことはそれだろう。よく僕はテレビの99パーセントクズでできていると表現しているが、ネットの99パーセントはゴミでできている。有用な情報など氷山の一角にしかないだろう。それに対して、スタージョンの法則によれば、「本の90パーセントはゴミ」らしいから9パーセントも確率が高い。書物にもゴミが多いことは、最近読んだショーペンハウアーの「読書について」でも書かれていた。時代は繰り返す。今も昔も創作物のほとんどのものはゴミだ。

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

そう考えると、人のブログを読む人間などは、ゴミに群がるハエのような存在であると表現できる。僕なんぞは、その部類の人間になりつつあるので、我ながら人生を消耗している気がしないでもない。つーかしまくってる。もう若い時分からも出る時期だというのに、古典を読まずに社会に出るのは、かなりもったいないだろう。自らハエになりに行くこともあるまい。

もうネットはただ自分の考えを放出する場所として、そして誰かとコミュニケーションをする場所としてみるのがいいのかもしれない。情報を得るための場所としては、あまりにノイズが多すぎるだろう。

無料でいいものにありつこうとする方が、甘い考えと言える。ネットは便利であるが、自分の人生を破壊してしまう可能性も秘めている。このようにテクノロジーに振り回されるのは、人間が自らの手で生み出した業だろう。我々はその業を乗り越えて、真の幸福を手にする必要がある。

そのための第一歩として、古典を読むのは非常に有用だろう。今さっき読んでいた「エッセンシャル思考」には

1週間引きこもることが難しければ、日々のなかに小さな「考える週」を挟んでみるといい。たとえば私は、1日の始まりは20分間を読書にあてている。ブログや軽い読み物ではなく、正統派の古典を読むのだ。以前は目覚めとともにメールをチェックするのが癖だったが、今では落ち着いて1日を始められるようになった。

古典を読む者の視野を広げ、時の試練に耐えた本質的な思想を立ち戻らせてくれる。

 てなことが書かれているので、僕も小さな「考える週」を作りたい。てか今は暇な時間が多いのだから、小さなじゃなくて、大きな「考える週」を作るべきだろう。はてなのホットエントリーやら、ツイッターのタイムラインやらを、死んだ目で追っていくのはいい加減にやめるべきだ。

 

僕の人生を充実させよう。

 

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 

けものフレンズ、格差社会、地球によく似た惑星、今月の個人的トピック(2017/2)

もう三月だ。もう春だ。ここ数日は勉強せず、なぜか攻殻機動隊テレビシリーズを全話見観ていた。アニメはやはり面白い。ただそれもいい加減にして、そろそろ夢に向かうための努力をしたい。息抜きも大概にしないと、動物的に欲望を満たすゾンビになってしまう。ゾンビにならないためには、意識的に自分が存在していたことを証明する記録するのがいいだろう。俺はここにいる。よって今月気になった話題をまとめていこうと思う。2017年2月中に僕が見たものだ。

 

 

けものフレンズ

 

全ての元凶。これでジャパリパークに入園した

honeshabri.hatenablog.com

さらに厄介なことに、フレンズは体型こそ人類と同じであるものの、特質はモデルとなった生物から引き継いでいる。サーバルならば聴力や脚力に優れ、鳥類のフレンズならば空を飛ぶことさえもできる。こうなるとサバンナで孤立した人類に、強みはあるのだろうか。人類はフレンズの下位互換でしかないのか。

そんなことはない。『けものフレンズ』はちゃんと回答を用意している。

 

俺もフレンズになりたいよ……。

anond.hatelabo.jp

あの優しい世界に俺も行きたい。サーバルちゃんなら俺みたいなコミュ障でも気遣い抜きの笑顔を向けてくれそう。サーバルちゃんと永遠に辿り着かない図書館への旅に出たい。延々と一緒に滑り台を滑り続けたい。別に恋愛とかそういうのは求めてないからひたすら子供みたいに無邪気に遊び続けたい。頭空っぽなフレンズたちに囲まれながら頭空っぽに生きていきたい。疲れた泣きたい。
なんで俺はフレンズになれないんだ。

 

サーバルちゃん、やさしー! 

neora30.hatenablog.com

「木登りが出来ると逃げたり隠れたりするのに便利だよ」とサーバルちゃんは”出来る出来ないに関わらず『出来たほうが良い』”という形で木登りを練習させようとするのです。

初見の時は「サーバルちゃんが木登りが好きなことを紹介するだけの映像」だと思っていたこの一連のシーンでしたが何度も見ているうちに

 

セルリアンから逃げられなかったかばんちゃん→木登りが出来ると逃げたり隠れたりするのに便利

という導線が見えてきます

 

わーい!SFけものフレンズよみたーい!

cakes.mu

いまこそ、SFの得意分野である世界創造力を発揮するときだろう。早川書房さんは『けものフレンズ』スピンオフ作品をバンバン出すべきなのだ。わたしも参加するぞ! 

 

格差社会

 

それでもなお、学問を愛しなさい

anond.hatelabo.jp

正直こいつを殴りつけたい。俺のほうが価値のある人間だと信じている。たとえ金がなく、配偶者を一生もてずとも。もちろん、「俺のほうが~」なんてのは傲慢だし、そんな風に思ってはいけないと賢人たちもいっているが。俺はこいつに嫉妬している。なぜだ、なぜ、と、理不尽な怒りがこみ上げてくる。こいつは国内最高の大学を出ているのに学問への尊敬がないからなのか。先人たちから受け取った最高の財産を軽視するばかりか、次代に伝えようともしていない。腹がたつ。

 

貧困の再生産

tabi-labo.com

 

「成功する秘訣は、泣き言を言わずに一生懸命努力することですね。与えられることを待ってばかりいる人にはうんざりです。僕は何も特別なものは与えられませんでしたよ」
「…」

 

貧困者はマシュマロを我慢できるようになろう

rootport.hateblo.jp

貧困は自己責任ではなく、政府が責任を持って対処すべき──。マクロの視点では、この発想は完全に正しい。経済格差には育った環境の影響が大きく、貧困が連鎖しやすいというのも事実だ。

 けれど、だからといって、友人に「政府が変わるまで諦めろ」とは言えない。少しでも豊かな生活をするために、手持ちのカードをどう切ればいいかをアドバイスしたい。私がこの記事で問題にしたいのは、ミクロの視点だ。個人レベルの努力で、貧しさを遠ざけることはできるかどうか、だ。

 できる、と私は思う。

 

おそらく大半の貧困者はネットで無料のもので暇をつぶしているのだろう

www.asahi.com

39歳以下の世帯主の家計の消費意欲が2016年、過去20年で最低だったと経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)の民間議員が15日の会議で報告した。政府は将来不安などが背景にあるとみて今後、子どもの教育費の負担を減らす策などを検討していく。

貧困クライシス 国民総「最底辺」社会

貧困クライシス 国民総「最底辺」社会

 

  

 その他

 

予算のないNASAのプロモーションだと思われ

www.nikkei.com

水のある惑星があるであろうってこと自体は、前々からほのめかされていた。こんな風に大々的に報じるのは羽振りのいい話をして、NASAの宇宙開発の予算を集めるためかと。レーザー光線で光の20パーセントほどの速度が出せて、軽くて小さいものならとばせる、みたいな技術をどこかの本で読んだことがある。それで200年くらいかけて自己複製できる機械を向こうの方に送って、インフラを作らせて、さらに精子卵子も送って、向こうで人間を増やせば、結構いけるんじゃね、みたいな妄想はしてた。ま、実際僕が行くことはないだろうけどさ。夢ねー。

 

ネットに人生を破壊されるって話

jp.wsj.com

もっとネットやる時間減らして、読書する時間増やしたい。はい、本読みます……。

 

これでアニメの作り方もかなり変わるのでは

www.buzzfeed.com

僕は絵に関しては詳しくないが、アニメなんかは特に色塗りが大変なんじゃないかなって思う。その手間を省くためにこの人工知能は使えるんじゃねえかな、って素人考えではあるが思う。にしてPaintsChainerさん色塗りうますぎでは。ぬりぬり。

 

ブログを書く人すべてに合わせて読んでもらいたい

nyaaat.hatenablog.com

ブログを書いている人は、「ブログの何が楽しくて何が辛いのか」「自分はビジネスとポエムのどちら寄りなのか」「どんな人と付き合ったらよい影響を受けるのか」ということは考えておいた方がよい。
ポエムブロガーなのに、ビジネスブロガーと付き合って「今月は〇〇万PV〇〇万円収益でした!」に惑わされるのは不毛だから。

 

www.tm2501.com

ブログを教えているのは、自分がインターネットやブログ文化が好きで、その可能性を信じているから。

自分もmixiニコニコ動画に救われたし、はてなブックマークを巡回するようになってからいい記事を読む面白さを知った。

そういうインターネットの良さは色んな趣味のやつが、自分の好きなことを書いてくれたらもっと発揮されていくんじゃないか…と信じてやってる。
実際に、自分に趣味を投げつけてくるほど面白い人が周りに集まって僕はすごく楽しい。

 

メディアはジャーナリズムたりえるか? 

news.yahoo.co.jp

行政・立法・司法・報道、と報道は第4の権力とされている。しかしそのメディアが現状では、完全に権力の犬と化している。メディアは本来権力に対する監視者でなければならない。なので、監視者であろうとしているこの試みはかなり意義のあることである。大衆は絶対応援するべきだろう。

 

 

 金儲けの方法で金儲け

news.yahoo.co.jp

金鉱を掘りに行く人にスコップを売った人が儲かったとかなんとか。この意味がわかるな?騙されたくなければ、銘柄大学で、金儲けが得意そうなやつと友達になるなどしよう。え?いい大学にも入れなかった人脈のない搾取される情弱貧困者はどうしろって?

…………。僕たちは口をつぐむしかない。

 

webメディアが丸裸に

saruwakakun.com

webメディアに関わる人、PVを増やしたい人、全員が読むべきでは。僕もそのうちお世話になりそう。今は好き勝手書かせてもらうけど。

 

グーグルにこうべを垂れよ

www.itmedia.co.jp

こちらも気になる人はすげー気になる話題。個人的にアルゴリズムに一喜一憂して、機械に媚を売るのってどうなんだろう、と考えるのだけれど、それで飯を食ってる人からしてみれば、切実だろうと思う。検索上位に入れないったことは、いないも同然の存在になることだから。僕もPVをあげようと思ったらどこかで意識しないといけないんだろうな。ま、今は好き勝手好き勝手。

やる気のないときは音楽を聴いて、筋トレして、風呂に入って、やったー!すごーい!と満面の笑顔でバンザイして俺TUEEEEEするといいよ

さっきまで、ずっとツイッターのTLをだらだらと眺めていた。死んだ魚のような目になって眺めていた。何か有益な情報があるわけでもないのに、狂ったように凝視して、無意味な時間を過ごしている爬虫類脳に支配されている状態になっていた。

人生は有限だというのに、無限にあるかのように時間を使っている。非常に非生産的だ。かつてテレビをよく見ていた時などは、見たい番組もないのにザッピングして暇を持て余していた。あの状態によく似ている。

ただツイッターに関しては、相互性のある自分の意見を能動的に発することができるので、いくらかマシかもしれない。一方的に言説や広告を見せてくるテレビは見てはいけない。

テレビは見てはいけない (PHP新書)

テレビは見てはいけない (PHP新書)

 

 しかしそれにしたってTLを眺めているだけというのも、無為な行為だ。面白いツイートがあって、くすりと笑ってしまうことも度々あるが、ほとんどは大した意味もないつぶやきである。そんな暇があるなら、もっと有益な書物などをたしなむべきだろう。

読みたい本はたくさん積ん読してあるというのに、それをほっぽり出して、ゴミのようなテキストを熱心に読んでしまう。これは一体どういうことなのだろう。

こういった状態に陥るのは、目標がないからだと僕は思う。明確な目標があって、本気でそこに到達したいと考えているなら、一分一秒も惜しいんで、努力するはずだ。僕にはそれがないから、こうやって無為な時間を過ごしてしまう。

いや、目標はないこともない。目的はあることにはある。しかしまさに気の迷い、魔がさすことによって、つぶやき群が催眠術となって、僕をただ何も考えない爬虫類の脳みそになったゾンビへと変えていってしまう。

あるいはゾンビでいることが、心地いいのかもしれない。何の喜びもなく、何の悲しみのない植物のような人生を歩みたい、とどこかのサイコパスは言ったが、そのセリフに僕は結構共感した側の人間だった。その状態になった時、幸福の収支表は、プラマイゼロとなる。ブッタはこの世界は苦から始まっていると、言い残したように、幸福の収支表は往々にしてマイナスだ。ならば爬虫類にでも、ゾンビにでも、植物にでもなりたいというものだ。そのための道具として、テレビやツイッターは有用なのかもしれない。

しかし、本当はそうじゃないだろう。本当は収支ゼロにしたいわけではないだろう。本当は幸福になりたいのだろう。みんなそうだ。俺もそうだ。だけどそうできないから、やる前に諦めて、やってできなくてやらなかった時より落ち込んで、その時に収支がよりマイナスにならないように、絶望の先払いをしているだけなのだ。

 

そんな人生惨めすぎるだろ。

 

だからこその音楽だ。

だからこその筋トレだ。

だからこその風呂だ。

だからこそのけもフレだ。

だからこその俺TUEEEEEだ。

 

脳に快楽物質を音楽で分泌させる。筋トレでさらに分泌させる。風呂でさらにさらに分泌させる。けもフレでさらにさらにさらに分泌させる。

 

さらにバンザイとすることで、効果は増大する。

顔の表情や体のポーズがテストステロンの分泌に影響をお様子ことは、TEDでも言われている。

エイミー・カディ 「ボディランゲージが人を作る」 | TED Talk Subtitles and Transcript | TED.com

 

さらにさらにさらにここで、アフォメーションもすることで、効果は指数関数的に増えていく。快楽物質がドッパドッパドッパッドッパ出てくることになる。

アフォメーションは、一言で言えば俺TUEEEEEEEと唱えて、俺は目標を達成している状態にあってうれしー!と現在進行形で妄想する行為だと思ってくれ。

ここまでやれば、もう爬虫類もゾンビも植物も卒業だ。晴れて人間入学おめでとうだ。

やったー!うれしー!すごーい!感情豊かで人間味あふれる人間としての生を全うすることができる。

僕はこれでいつでも幸福になれる自信がある。夢に向かって前進することができる。

みんなもライフハックとして、参考にしてみてくれ。 

風呂によって、僕は自由を奪われる

f:id:Shinrei:20170223233305p:plain

今日は、実家に帰ってきている。そこで思うのは、風呂は毎日入るものなのだろうか?という疑問だ。

一人暮らししている時は、三日に一回入るぐらいの頻度だったのだが、こちらに来たら毎日入れと急かされる。普通にめんどい。風呂洗うのも風呂入るのも時間の無駄なような気がするのだが、実家にいた時は気にしていなかったけど、一人暮らししてそのようなことを思うようになった。

もしかして、こんなに毎日風呂に入るのは、洗濯機が出てきた後の習慣なのではないか、という考えが浮かぶ。昔の人はそんなに頻繁に風呂に入っていなかったのではないだろうか。洗濯機がなければ、服を洗うのも大変だろうから、できるだけ服の量を減らし、一つの服を長くきて、体がかゆくなったら、服と一緒に体も洗うという感じだったのではないだろうか。昔の人はそんなに風呂に入っていなかったのではないだろうか。

僕の場合、その体がかゆくなるのが、だいたい三日くらいなので、その頻度に合わせて、洗濯していたのだけれど、洗濯機本体の値段といい、その水道代といい無駄なので、洗剤を入れた水入りのバケツに入れて、軽く手洗いするということをやっていた。一人暮らしならこんなんでいいだろう。

僕は体が痒くなるから風呂に入る。しかし僕の家族は、というか大多数の人が1日入らないと体が臭くなるから風呂に入るという。これに対してさすがにみんなきれい好き過ぎでは?と僕なんぞは疑問を挟みたくなる。僕の場合、人と会うという行為が少ないので、人に迷惑をかけるということもないのだが、みんなは人と会うからエチケットとして風呂に入るということなのだろう。

しかしそれでも、みんな気にしすぎでは?と、問いたい。風呂に入ると気持ちいから入りたい、という人はいいかもしれないが、風呂を洗うのも風呂に入るのも面倒くさいという人も多いのではないだろうか。そういった人に風呂に入って、体臭を消せというエチケットを強制するのはどうなのだろう。地味に幸福度が低くなる要因になっているのではないだろうか。

風呂を洗うのと、体を洗うのと、最低30分は要するだろう。三日に一度にすれば1時間は得することになる。人生80年の総計でいけば、かなりの時間になる。その時間で、勉強なり趣味なりすればもっと人生が豊かになるのではないだろうか(風呂に入るのが趣味という人は、そのまま風呂に入っていればいいと思うが)。

僕の場合人がどれだけ臭かろうと気にしない(むしろ臭いによって、その人を特徴付けることができるので、顔が覚えられない僕なんかには便利なのだが、そう言った使い方は稀だろう)。みんなが人の体臭に寛容になれば、風呂に入りたくない人の幸福度が上がるのではないだろうか(というか、体臭に限らず何事も寛容になれば幸福度は上がるだろうが)。しかし実際問題はそうではないだろう。

社会人になれば、社会人らしいマナーを守らなければいけない。みんながみんな、愛想笑いを振る舞いて、ぴちっとしたスーツを着て、化粧をして、私はちゃんとした人間ですよ、と努力している。その私はちゃんとした人間ですよアピールのためのリソースを、もっと生産的なことに使えばいいのに、と外見をとことん気にしない僕なんぞは思うのだけれど、しかし働くための雰囲気作りをすることでより生産性が上がるという見方もできる。人の体臭が大嫌いという人もいるだろうし。その人に会社を辞められたりしたら、ことだ。

 

僕は気にしないけど、別の誰かが気にする。その誰かのために僕は気を使う。その時、僕は自由を奪われる。

 

人に迷惑をかけない範囲で、我々は自由を有するっていうのが大前提だけれど、僕は自分の自由をできるだけ大きくしたいので、人に対してもできるだけ自由を与えるようにしている。僕は体臭を気にしないことで、その人が臭い状態にいる自由を与えている。

しかし、社会の一般認識としては、体臭を放つことは迷惑行為に当たるのだろう。僕が言っているのは、俺は殺されてもいいから、殺されてもかまわないというのと同じことだ。それはそれは間違いなく間違っている。

だからみんな風呂に入って、人に迷惑をかけないようにする。社会で生きる以上、風呂に入ることは逃れられない宿命なのだろう。

 

それによって、その人の人生の時間が失われるとしても……。

 

やれやれ、なんだかね。

 

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)