新世紀SOS物語

とある魔法少女の終末旅行

ワンピースの麦わら海賊団ってさ、あいつら海賊じゃなくね?NPOじゃね?

って思うんだけど、どうよ?

 

だってさー、あいつら悪いことやってねーじゃん。それどころか、行くところ行くところで、悪い奴凝らしめてるじゃん

俺らのイメージする海賊って、行くところ行くところで、犯罪行為する連中じゃん。奪って殺してギャハハって悪い笑い声あげる悪い奴らじゃないですか

 

だから、バギーとか首領クリークとかアーロンとかクロコダイルとか、あの辺りの悪者四天王は奪って殺してギャハハ、だから存分に海賊だと名乗っていいよ。THE・KAIZOKUだよ

 

しかし、麦わら海賊団は海賊だと名乗っちゃダメでしょ?だって海賊じゃねーもん。奪って殺してギャハハじゃねーもん。歌って踊ってワハハだもん。

 

100歩譲って冒険家だろぉ?モンブラン・ノーランドだろぉ?

 

 

まあでも調べたところ、どうやらワンピースの世界では、無断でグランドラインを航海したらダメと言う、法律があるみたいだから海賊扱いにされているというのもあるし、つーか天竜人殴っちゃったりしているし、そこは海賊呼ばわりされても仕方ないかもだけど、でもやっぱり他の海賊とは全く違うじゃないですか

 

だからやっぱ海賊と呼ぶのはかなり憚れる。違う呼び方をしたい。ってことですぐに思いつくものだと、行くところ行くところで悪い奴ボコボコにしまくってる彼らは正義の味方と呼ぶのがふさわしいじゃないですかね。THE・SEIGI。うん、わかりやすい

 

しっかし、正義の味方ってわけでもねー。だって正義の味方は海軍のことで、あいつら背中に正義って書いてあるし、本物の正義の味方はあいつらに譲るしかねー

 

ってことで、麦わら海賊団に一番ふさわしい職種を考えた結果

 

NPO

 

に一番近いと思うんですね

 

ちなみにNPOの定義はウィキだとこんなん

NPOとは、「Nonprofit Organization」又は「Not-for-Profit Organization」の略で、広義では非営利団体のこと。狭義では、非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体のこと。

 

特に「非営利での社会貢献活動」ってのは大きい気がする。正義の味方である海軍が、倒すことのできない悪を倒す

たいていの場合その倒す理由は、仲間のためだったりするんですが、結果的には悪を倒すことに成功しているので、十分に「非営利での社会貢献活動」をやっているとみなすことができます

 

僕からすると、麦わら海賊団は、実は麦わらNPO法人なんですね

 

 

 

というわけで、ルフィさんには高らかに例の名台詞を宣誓してもらいましょう

 

 

 

せーのっ

 

 

 

 

 

 

NP王におれはなるっ!!!!

 

 

ドン!!

 

http://xn--zcktc0dqa0c7959ah6we.com/wp-content/uploads/2014/01/kaizokuoh.jpg

 

これがやりたかった

 

 

おわり

 

童貞を殺す服、殺すべし

童貞を殺す服、殺すべし

 

なぜ僕がかようなことを思うのか。それには深い事情がある

 

童貞と検索すると、童貞を殺す服と童貞を殺すセーターが出てきてしまうせいで、純粋な童貞もののイラストを探すのが難しくなってしまったからだ

 

俺が欲しい、童貞ものの、特に女の子に「童貞、きも」みたいに罵られるような、そういうイラストを探すのが難しくなってしまうからだ

 

これは重大な問題ですよ

 

試しにニコニコ静画で「童貞」と検索してみてくださいよ。何が見えます?

 

キーワードでイラスト検索 童貞 - ニコニコ静画

 

童貞を殺す服と童貞を殺すセーターばっかりなんすよ……

 

いや、童貞を殺す服も童貞を殺すセーターもどちらも可愛いし、エロいですよ?大好物ですよ?

 

でもなー、俺が見たいのは、「え?その年で童貞なの?引くわー」みたいに美少女に嘲笑されるやつなんですね

 

正直に告白すると、そういうのをみると、なんていうか……その……下品なんですが……フフ……勃起……しちゃいましてね……

 

 

 

例えばこういうの

 

seiga.nicovideo.jp

 

幼女に「童貞なんだ」、って罵倒されるのとか最高じゃないですか?

 

幼女×罵倒×童貞=無限!!!

 

じゃないですか?

 

え、わからない?ナニイッテルカワカラナイ?

 

まー女性はわからなくて仕方ない(この処女め!!と男に罵られると興奮する娘とかいるの?それはそれでgood!!!)かもだけど、男性はわかるよね?

 

え、わからない?ナニイッテルカワカラナイ?

 

いやーそんなことないよね?この趣味嗜好って僕だけじゃないよね?男はみんな一度は、ていうか童貞である限り(非童貞知らん、非童貞は男にあらず(妄言))は、童貞であることを、女性になじって欲しいよね?

 

古事記にもそう書いてある……わけはない

 

あれ、もしかしてこれって……

 

特殊ぅ?スペシャリぃ??

 

いやでもね、弁解させてもらうとね、なんていうのかな、いわゆる敗北の蜜は甘いぞみたいな?エロ漫画家の朝凪先生に出てくる女の子のようになってしまうんですね(この例えがどれだけの人にわかるか……)

 

要するに僕がドMなんですね(突然の告白)いやー、でもこの世界にはSとMしかいないわけじゃないですか?つまり確率は2分の1、だから僕が童貞であることを罵られることで興奮しても、全くおかしくなってわけ(謎理論)

 

ただね、これにも一応解決方法があって

 

ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!!!

 

ってタグ検索すれば、なかなか良質な童貞もののイラストが発掘できるのね。ただなーそれもたったの68件だけなんですね。童貞を殺す服が353件なので、全く量が違うわけなんですね

 

いやだよ、もっと純粋な童貞もののイラストをもっとたくさんみたいよ

 

 

だからね

 

童貞を殺す服、殺すべし

 

って思うわけ。いや別に殺さなくてもいいけど、改名してもらいたい。童貞を殺す服は、可愛すぎてファ◯クしたいブラウス、童貞を殺すセーターは、ドスケベエロセーターとでも名乗ってもらいたい。

 

そうすれば、僕は快適な童貞もののイラストを楽しむことができる。すべてのドM童貞が救われる。

 

そうだろ?

 

 

 

???「で、お前は当たり前だけど童貞なんだよな?」

 

 

┣¨┣¨┣¨┣¨、童貞ちゃうわ!!!

 

うん、これが言いたかった

 

 

はてなを使って過去の人気記事を読もう

ここ半年で、随分と人のブログやネットのニュースををよく読むようになった。非常に勉強になる。まあ、そのせいで、活字の本を読む機会が減ったのは否めない。いや、なんかブログの文字数に慣れちゃうと、長い文章を読むのが億劫なのよ。それでも読みまくるのは、俺が活字中毒ってことなんだろう。

で、どうせブログを読むなら、どうせなら、アルファブロガーと言われる、知識人のブログや真面目なニュースサイトの、しかも良記事を読んだ方がいろいろ勉強になる。最新記事で旬を追うのもいいけど、過去のホットエントリーを読むのもいいだろう。

でも、なぜだから知らないけど、あれらのサイトって過去の人気記事が読みにくい、デザインになってるんだよな。これじゃあ、過去の良質な記事を味わうことができない。

 

その時に役立つのが、はてなに検索窓に読みたいブログのURLを打ち込むと、過去の人気記事の一覧が表示される機能だ。

 

例えば小飼弾のブログならこんな感じ。

f:id:Shinrei:20170720062643p:plain

 

 

BuzzFeedならこんな感じ。個人ブログではなくとも、ニュースサイトでも同様に使うことができる。

f:id:Shinrei:20170720064203p:plain

ブクマの数=良記事というわけではないが、たくさんの人にブクマを押させるだけの何かがあったのは確かなのだから、話題になるかもわからない最新記事を読んでいるよりは勉強になる確率は高いし、何がホットエントリーにくるかの傾向もわかるので、そのあたりも勉強でネットに関わる仕事をしている人は参考になるのではないか。 

ちなみに僕は、キュレーションや記事の反応を見るためにも、お気に入り登録されているのが多い人や、良いブコメを書くブックマーカーは積極的に、お気に入り登録するようにしている。だから記事の下にこれほどアイコンが多い。大いに参考にさせてもらっている。

 

はてなを使って過去のホットエントリーあさり、さらに記事本体を含めてはてなブコメを参考にすると、情報収集が非常に捗る。

しかし、捗りすぎるのも考えもので、ネットにある品質を保証されたそれなりに面白い記事を無限に読んでしまうので、時間泥棒とも言える。

 

ご利用は計画的にだ。

 

……うん、マジでツイッター眺めるのもはてなで過去のホットエントリー漁って、ネットサーフィンするのもほどほどにしねーとな、自分でお勧めしいいてあれだけど、マジでご利用は計画的にだ。

 

自分の人生が一番大事だからな。何が自分にとって大事なのかをよく考えないとな。

 

ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか (光文社新書)

ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか (光文社新書)

 

 

メイドインアビスはレベル1で難易度INSANE(狂気)モードのゲームやってる感じだ。初手暗黒大陸編みたいな

 

 メイドインアビス読んだよ。うへー、読むの辛かった。いや、つまらなくて読むの辛かったって意味じゃなくてさ、物語はすげー面白くて、先がめっちゃ気になるから、6巻早く読みてーんだけどさ………。

  読んだ人はわかると思うけど、これ嫌なグロさなんすよ。映画で例えるならSAW(ソウ)みたいな、グロさ。明らかに読者を不快にさせようとしている製作者の意図があるんだよ。

そして、見かけは、ワンピースとかハンターハンターみたいな、王道の冒険ファンタジーの形式を取ってるから、そのギャップでより辛くなる。

SAWは初めから最後までグロたっぷりだとしたら、その点すげーよなメイドインアビスは脳髄味のチョコだもんみたいな(やばすぎる例え!!!)。いやほんと、脳髄味でまずいはずなんだけど、チョコだから食べるのやめられない、みたいな作品だ。

 

んなあ〜、脳髄味のチョコはチョコはもうこりごりだぴょん。

あ、ナナチちゃんはめちゃくちゃ可愛くて、推しキャラっす。んなあ〜

 

つーか、メイドインアビスって完全にハンターハンターと設定が似すぎているんだよな。主人公リコの年齢が12歳で、ゴンと同じだし、探窟家(ハンター)の母親を会うために冒険するっていうのも、同じだ。アビスも暗黒大陸の設定とあまりに酷似している。作者は意識的に似せているのかもしれない。

おそらく、作者のやりたかったことって、ゴンがいきなり暗黒大陸編をやりだしたら、どうなるんだってことを描きたかったんだと思う。完全に僕の妄想だけど。

この辺りは、海燕氏の言う新世界の話ともつながってくるよなあ、って考えてた。

 

「レベル1から敵が出て来るとは限らない、いきなりレベル99のラスボスが登場するかもしれない世界」、それが「新世界」です。

ってやつを作者も描きたかったんじゃないかと。

ch.nicovideo.jp

 

TVアニメ「メイドインアビス」公式サイト

冒険を夢見る少女がロボットの少年と友達になって、伝説の冒険者だった母から届いた手紙を道標に洞窟の探検に挑むなんて児童向けアニメにぴったりじゃないですか。どうせならドアサ・ニチアサにやって欲しいですよね

2016/12/22 07:34

 公式サイトにあった不穏なブコメ。いやーマジで、あらすじだけでみると、そんな感じだから、嘘じゃねーんだけど、その内容はいわゆるハートフルボッコってやつだからね!!!あらすじ詐欺!!!

そしてアニメ版の1話もみたけど、1話だけなら、完全に上のブコメ通りだから困る。あ、第一話はすげー面白かったから絶対見るべき。こんなにアニメ見ててワクワクするっていのも久しぶりな感じがする。

 

んで、タイトルにある難易度INSANE(狂気)モードってたとえは、ゲーム版SAWの最高難易度から取ったんだけど、こう以上にうまい表現もないんじゃねーか?我ながらうまい。

Saw

Saw

 

メイドインアビスって、漫画で例えるなら、ハンターハンターで、旅立ちの船の行き先が暗黒大陸みたいなヤバさで、あるいはベルセルクで、ガッツの少年時代に、使徒と戦っちゃうヤバさなんだよ。

……死ぬじゃん、そんなの。主人公補正あっても、修行パートなしに、最高難易度(しかも狂気的な)の敵と遭遇したら、間違いなく死ぬじゃん。あっけなく死ぬじゃん。全身から血を吹き出して、自傷行為に走って死ぬじゃん。

 

まさしく

「レベル1から敵が出て来るとは限らない、いきなりレベル99のラスボスが登場するかもしれない世界」、それが「新世界」です。

ってやつだ。 

 

そんなINSANE(狂気)モードのゲームなんだからさ、せめてワンピースのルフィくらいまでレベル上げしといたほうが絶対いい気がするんだがな。ルフィって確か、冒険に出た時19歳だったろ?リコちゃんは12歳じゃん。ただのJCじゃん。悪魔の実も念能力もドラゴンころしもないただのJCじゃん。

もう7年くらい、オーゼンさんの元で、修行パートやっといたほうが絶対いい気がするんだがな。オーザンさんもオーゼンさんだよ、なんでレベル1の勇者を旅に出しちゃうかな、度し難い。

 

まあ、それやっちゃうと、既存のRPGみたいなレベルごとに適当な敵を出してくれる、優しくイージーモードの冒険ゲームになっちゃうから、面白くねーってことなんだろうな。

 

その辺りが、やはりメイドインアビスの最大の魅力なんじゃねーか。

 

レベル1からレベル99のラスボスが登場してもなお、冒険することをやめない。死ぬ可能性のほうが遥かに高くともやめない。

ワンピースみたいな、勝ちが確定しているパチモンのロマンじゃなくて、メイドインアビスには死の香りあるからこそ、本物のロマンが溢れている。

 

メイドインアビスは、本物のロマンを求める、真の冒険者の物語だ。

 

 

正直言って、僕はあまりこの本をお勧めしない。これはあまりに辛い物語だからだ。しかし、あなたが未知の秘境(アビス)に憧れる、真の冒険者だというのなら、ぜひとも読んでもらいたい。 

漫画喫茶にまんがでわかる系の教養書があるといいのにね

インターン終わった。ふひー、久しぶりに社会人としゃべったからちかれた。ここずっとひきこもってて、まともに人と喋ってなかったから余計にちかれた。がんばった褒美もかねて、漫画喫茶で一晩すごすつもり。いまはまんきつで書いている。

しかし画面でけーな。普段ノートパソコンで書いているから、違いが際立つ。だがキーボードが深くて打ちにくい。でかいパソコンで作業することになっても、キーボードは浅いやつを使うことになるだろう。

 

んで、ぼくは漫画喫茶好きで、よくいくんだけど、漫画喫茶って娯楽の漫画しかねーんだよな。まんがでわかる~がないんだよね。少なくともぼくがいくつか行ったことある漫画喫茶はみんなそうだった。これって結構社会的な損失なんじゃないかと思う。

教育イコール善ってわけじゃないし、頭がいいことで幸せになれるとも限らないけど、やはり教養があると、いろいろ便利だし、なにより人生が豊かになると思うんだよ。

少なくとも僕の場合はそうだった。20歳くらいから暇だったから、学問系の本を読み出したら、これが面白いんだな。初めて学ぶ楽しさというのを実感したわけですよ。まあ僕の場合は、ライトノベルをよく読んでいたから、活字に抵抗はなかったから読めたけど、普段活字読まない人は、まず漫画がやはりいいわけで、漫画から学ぶ大切さを学ぶというのも得ることもあるわけですよ。

 

普段まともに活字を読まない、教養のない人間が、ある日、まんがきっさに立ち寄って、何読もうかな、ってなったときに、そこに普段と違う世界のまんがでわかる教養書みたいなのがあって、せっかくだし漫画でよみやすいし、違うものでも読んでみようかしらってことで、読んでみたら、教養に目覚めた、みたいなことが絶対おこりえると思うわけですよ。

サピエンスの歴史ってすげー!!!!人類の繁栄は”虚構”にあったんだ!!!みたいなエウレカが、普段本をぜったい読まないような、ギャルやチャラ男に起こりうるわけですよ。

 

まんがでわかる サピエンス全史の読み方 (まんがでわかるシリーズ)

まんがでわかる サピエンス全史の読み方 (まんがでわかるシリーズ)

 

  ちなみにまんがのサピエンス全史は、いい話風にまとまっててよかったです。

 

そういうエウレカってなんか文化的な生活を送る上ですっげー大切なことな気がするんだよ。別に誰もが学者になれるわけもないし、エウレカってなった人もその次の日には、誰でもできるくだらない仕事をやるかもしれないけど、何かすげーもんを知ってしまった感動を知った人って、辛くても結構なんとかやっていけると思うんだよ。

教養がつくと、視野が広くなって、結構いろんな辛いことが客観的にみれてストレスも減ってるっていうのが、僕の場合、実感としてある。

 

教養にはそういう効用があって、そういうのをいろんな人に広めるべきだと思うんだよな。

 

なんかそのあたり、もったいねーな、学問の面白さを知ってしまったぼくは思ってしまうわけですよ。

 

なんとか、置いてもらえないもんすっかね?

 

教養ブームもあるわけだし、あんなにもたくさん、まんがでわかる本が書店に並んでて売れてるみたいだし、結構受けると思うんだけどな

 

まんがでわかる 地頭力を鍛える

まんがでわかる 地頭力を鍛える

 

 

蚊に刺された!!!!

部屋で作業してたら、足刺された!!!

今年初刺され!!!めでたい!!!!んなわけねー!!!!!

 

かっゆ〜〜〜〜〜〜

なんだこりゃ、めっちゃかっゆ〜〜〜〜〜ファック!!!

 

ぜってーぬっころす!!!

しかも裸足でやってたから、親指刺された!!!特にかゆいとこ!!!!

かっゆ〜〜〜〜!!!

かゆいかゆい、かっゆいー!!

やっぱぬっころす!!!

でもその前にハイラップ塗らねーと、ってねえじゃねえか!!!

かゆいかゆいかゆい!!!

ムカついてきた!!!やっぱやっぱぬっころす!!!

次来たら、ソッコーぬっころす。剣豪みたいに、居合抜きのごとく片手を突き出し、拳法の達人みたいに握りつぶす!!!!3メートルの円も使ってるから、入ったら、即ほあちゃー!!!またつまらぬものを握ってしまった………だかんな!!!自分の血べちゃー、ばっちい!!!

 

しかし、あいつら、こっちが殺意を出したら、全然現れねー!!!なんかそういうの感じる器官でもあんのかァ!?オメーも剣豪なのかァ!!!またつまらぬものを吸ってしまったって……それ、俺の血ぃ!!オマーの血は何色ダァ!?赤色ダァ!!!!

 

じゃあどうすんだァ!!!ゆっこみてーに、リミッター外すかぁ!?とりゃ、おりゃ、でりゃー、ほあちゃー、ピッ(頰についた血をカンフー風に拭う)でも、あいつらどこにいるんのかわかんねーまじわかんねー

 

やっぱ待ちしかねーな、自分を餌にして、奴をおびき出す。足をぷらぷら、ほーらおいちー足がありまちゅよー、お吸いになってーバブバブバブバブ、いい子でちゅね〜〜〜〜〜〜〜か・ら・の〜〜〜〜〜アスタラヴィスタ(地獄に落ちろ)!!!

 

ってのがやりたい!!!!!

 

て、て、て、書いてたら、また刺された〜〜〜〜〜〜〜ファーーーーーク

 

書くのやめ!!!本格的にぬっころすモードに入る!!!俺は今から殺人マシーンだ!!!もう生きてこの部屋から出られるよ思うなよ!!!

 

うおおおおおおおお!!!!

 

しんれー先生の次回作にご期待ください!!!

 

ハイラップS 30cmx100m

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キンチョール ハエ・蚊殺虫剤スプレー 450mL

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僕が勉強ができなかった理由。数学を始める理由

数学始めてみようかなって、最近思ってる。

???「いや、唐突だな、つーかおめー数学云々の前に就活やんなきゃだし、その就活のためにプログラミングやるべきだし、そんなよゆーねえだろ、馬鹿なの?頭いいことやるのに、馬鹿なの?」

 

いやー、耳がいてーわ。もうヘッドフォンして、?でわっしょい聞いて現実逃避してーわ。

?でわっしょい

?でわっしょい

 

 んでも、やりたいって思うってかなり希少なわけで、今やりたいのだから、やったほうが、希少価値のあるものを有効活用しているのだから、俺的エコだろ(謎理論)

まーってのは冗談にしても、僕の出資者たる脳内投資者様は、僕を幸福にするために、時間や気力の投資者会議に毎回参加してくださって、あれこれ要求してくださるわけで、そこはちゃんの配当出して還元してかなきゃなーとは、思うんで、僕が数学やりたいプレゼンをさせてもらうと、

・数学コンプレックスがある

・文章を読むことで得られる知力に限界を感じ始めている

・夢中になってやっているツイッターとかはてなとか現実への還元率の低いものを、違う夢中になれるものにシフトしたい

ってのが挙げられる。意識の低い、彼女とピーヒャラやってる連中からしてみれば、それやってモテんの?金くれるの?え?どちらもない?じゃあ意味ねーじゃんとか言い出すし、僕の脳内投資者様も、そうだそうだと頷いていて、っておい僕の投資者のくせに僕のこと全然理解してねーな、と結構落胆する。まあ、そこは株式会社俺を経営している以上、俺を幸福にするためのビジネスモデルならぬ幸福モデルをプレゼンする必要があるだろう。

 

中学生の頃から、あんま数学、ってか勉強自体好きじゃないし、大してできていたわけではなかった(一応数学検定3級はギリギり取れてたから、絶望的ってほどではない)。僕が何で勉強あんま好きでもなく得意でもなかった理由って、まあいろいろあるんだけど(先生の教え方が下手、模試とは関係のないテストやらせる、もう学校行くだけでコミュ症の僕にとって疲れて勉強やる気力がない、オタクに傾倒していたなどなど)一番大きかった理由って、勉強という評価を相対評価で測ってたからなんだよな。

どういうことかというと、僕が進学したのは、本当に偏差値50程度の県立高校で、平均的な学生だったわけだけど、なぜそんな平均的な学生になってしまったのかというと、平均的な学生であるというレッテルと、周りも自分も張ってしまったからなんだよな。平均的な頭脳を持っている人間である以上、学力方面にリソース振ってもそこで差別化できないわけだし(人間は他者と差別化することで目立つことで、集団の中で役目を見つけ、他人に認めてもらい異性を獲得する習性を持っている。)そこで勝負するのは諦めてオタク方面の好きなことで差別化しようと中高大時代はやってしまって、今はかなり就職に苦労してしまっている\(^p^)/。

全く、中学時代くらいにプログラミングを知っていれば、つまんねー学校になんて行かず、そして今の僕が好きなアニメやマンガなんかにも傾倒せず、オタク文化に傾倒する分のリソースを自宅でしこしこコード書きまくるってことにリソースを振ることを10年もやってれば、リア充にはなれないにしても、ギークとして大成していたかもしれないわけで、俺のことを馬鹿にした体育会系どもをこき使ってやる立場になれてたかもしれないわけで、そこはやはり、自分の両親の情報感度の鈍さを呪うしかない。ザッカーバーグは確かコンピューターの家庭教師まで雇ってもらってたはずだぜ。まあ、僕が要求しなかった自己責任だっていえばそうだけどさ、けど勉強したい、プログラミングを学べば、いつか金になる、って思う閾値を越えるまでは、なんとか両親が勉強に興味を持つように仕向けるのも、ある種義務だと思うんだよ。好奇心のある子供とそうでない子供では、生涯で得るものが雲泥の差になる。カオス理論では、初期状態で、全く異なってしまうことが証明されている。その初期状態をどれだけいいものにしてあげられか、それが親の務めなんじゃなかろうか。その務めが果たせず、僕は平均的な人間(オタク文化には異様に詳しいけど)に甘んじてしまった。

そこから今更だけど抜け出す方法って、相対評価ではなく、絶対評価にするべきなんだよな。今更数学やったところで、自分より年下ではるかにできる奴がごまんといるわけで、自分はただの下位互換になってしまって差別化できなくて、他者に埋没してしまって、そこにやる意義が見出せなくなってしまう。けど、あんまり他人がどうとか関係なくて、自分がやりたいかどうかが重要だと思うんだよ。

数学をやらずに大人になってしまって、なんか学生時代にやり残したしこりが大きくて、それに本を読んで知識を増やすだけでは、なんか頭の良さに限界があるよなあってのは最近思うようになってて、そこに最近読んだ本で、苫米地氏の数学脳の本で、数学をやる素晴らしさってのを説かれて、数学的思考身につけてー、もっと頭よくなりてー数学超やりてーって思ったわけさ(完全にヒーロー物に憧れる男の子と同じです。俺が今数学やりてーって言ってるのは、男の子がライダーキックやりてーって言ってるのと相似だ。でもまあ男なんて多かれ少なかれ人生そんなもんだろ?)

すべてを可能にする数学脳のつくり方

すべてを可能にする数学脳のつくり方

 

 まああとプログラミングやってて、やはりプログラミングは数学とも相性がいいよな、ってのは感じていて、ついで一緒に身につけてーなってのもあるわけよ。

プログラマの数学

プログラマの数学

 

 つーわけで、なんで俺が勉強できなかったっかっていうと、他人を見て勉強をやるかどうかの判断をしてたからで、勉強とか教養なんて楽しいからやるで十分で、その楽しいと思える水準に、底辺大学に所属していたとはいえ、暇な時間にいろいろな本を読むうちに達していて、達した以上はやりてーって男の子がヒーロー物に憧れるのと同じように思うわけで、だから数学を始めますって話。楽しそうだからやるって話。

 

……変かな?

 

???「変とかどうとか聴く必要ねーじゃん。おめーがやりてーなら、やればいいだろ。他人がどう思うかとかまじどうでもいい」

 

だな。早速やるか。

大人のための数学勉強法 ― どんな問題も解ける10のアプローチ

大人のための数学勉強法 ― どんな問題も解ける10のアプローチ

 

今日読み始めた。こういうの中学時代に読んでたら、また人生が変わってたんだろうな、と後悔してしてしまう。悪い癖だ。今が最高の時だと思えば、人生幸福だぜ。 

 

ああ、あとツイッター眺めるのをなくすっていうのもある。同じ夢中になるなら、こっちの方がいいよねってこと。オタク文化に傾倒したという過去を踏まえて、リソースふりするならこっちの方が現実への還元率が高いかな、っていう功利的な目測でやってる節もある。あとブログのPVもあげてーよなとも。

やりたいことを、現実への還元率に高いものにシフトしていくっていうことは意識的にやっていかないとな、ってのは最近強く思っている。

 

ハリウッド版デスノートにやってもらいたいこと。殺すなら犯罪者ではなく、権力者を殺すべき

トラ◯プのような権力者の名前を書いて、警察のトップではなく、大統領になってもらいたい。

原作版のような、夜神月が負ける話ではなく、デスノートという力をうまく使って、アメリカが世界の警察であるという威厳を見せてもらいたい。

 

デスノートによって、世界の平和を実現する、というハッピーエンドをやってもらいたい。

 

ってなことを、ハリウッド版デスノートが発表されて第一に僕が思ったことだ。

 

僕は原作版のデスノートで不満だったのって、やはり夜神月が敗北してしまったことなんだよね。いや、ジャンプっていう少年が読むものだから、勧善懲悪にしなきゃいけないのはわかるよ?んでもさ、夜神月って人殺しまくってるけど、そこには正義の心が根底にあるわけじゃん。一概に悪とは言えないわけで、むしろLとかニアなんかよりもたくさんの人の命を救ってるかもしれないわけなんだよな。

 

んで、僕が思うのは、なんで夜神月は殺人者とかそういう罪人を裁いていたんだろうなってことだ。

どういうことかというと、犯罪者って実は大半の人間が貧困者なんだよ。貧困だから犯罪を犯すわけで、本当の悪人ってかなり少数派だと思うわけ。刑務所からでてもまともな職にありつけないから、また犯罪を犯すってことが、アメリカでは現に社会問題になっていて、それは犯罪者のせいというよりは、社会のシステムがうまく回っていないという部分が大きい。

にもかかわらず、そういったことに気づいているはずなのに、夜神月は犯罪者を殺す。若い時に読んだ時は、あまり気にしてなかったけど、社会について見識を深めるにつれてそういうところに、目がつくようなお年頃に僕はなってしまった。

で、同じ殺すなら、犯罪者ではなく、私利私欲のために私腹を肥やす、権力者たちだと僕は思うわけ。なんでそう思うのかというと、僕たち市民がなんでこんなに貧乏で不幸なのか、という理由が、権力者に知らず知らずに搾取されているからなのだ。

 

殺人鬼が狂って何十人も殺すよりも、政治家が私利私欲のために増税する方が、はるかに被害が大きい。そうである以上、殺すなら被害の大きい政治家などの権力者だ。

 

権力者たちが、どれだけ僕たち平民を搾取しているのかは、苫米地氏の著作を読んでみればよくわかる。苫米地氏の本を読むと、本当に権力というやつが嫌いになる。どれだけ僕たちが不遇にいるのかがわかって、怒りが湧いてくる。

 

電通 洗脳広告代理店

電通 洗脳広告代理店

 

 こういうのを読むと、もう解決方法はテロしかないんじゃないかと、破滅的な考えに至ってしまう。それくらい、絶望しか感じない。

 

そして、ハリウッド版デスノートには、わかりやすい犯罪者のような小さな悪ではなく、わかりにくい権力者のような大きな悪に、立ち向かってもらいたいなあ、と思っている。それは原作にはできなかったことで、それをやったらめちゃくちゃ面白くなるよなあ、とワクワクする。Lやニアとの戦いを描いたところで、それは二番煎じにしかならないのだから、原作にはできなかったデスノートを使った本格的な世直し劇というのを僕は目劇してみたい。

 

犯罪者を殺すのではなく、犯罪者がでなくて済むシステム作りをしてもらいたい。殺すなら犯罪者をでなくて済むシステム作りを阻む権力者を殺してもらいたい。

 

 

死神からもたらされたデスノートで、平和な世界というのを、僕は見てみたい。

カジュアル不登校のススメ。学校という場ではなく、違う場で評価されればいい。


www.minako-amamiya.xyz

 

いじめ加害者のことなんか知らないし感謝もしてない、私は幸せになるよ - 雨宮美奈子、美徳はよろめかない

いじめに対する対策が、逃げる、しか選択肢がない以上、もっとカジュアルな不登校があってもいい。なまじ不登校が悪だという世間の認識があるから辛くなる。勉強さえできれば社会でも大丈夫だと子供には伝えたい

2017/06/24 18:09

 読んだ。ブコメがスター結構付いているから、感想アンド補足。いじめのひどさについてはもう十分語り尽くされているだろうから、そのための対策について主に語ってく。

 

読んでる限りは、中学時代はいじめられてたけど、勉強頑張って、いい高校いい大学に進んで、今は結構幸せそうに暮らしている人物であるらしい。こういった風に、スクールカーストの下位にいていじめられてたけど、スクールカーストという評価軸の外の評価、例えば勉学などに長けることによって、自尊心が保ち、中学時代とは違うコミュニティにも入り、救済される、というおそらくもっともベターないじめ対策なのではないだろうか。現在いじめられている子供達のいいロールモデルになるだろう。

 

学校という閉鎖された空間で、ヒエラルキーが発生する以上、いじめをなくす手段はない。何百人という子供が押し込められれば、どこかでいじめられる人間が出てくるのは必然で、最悪の場合自殺者が出るというのも、これは確率の問題だ。

 

ではその確率をできるだけ減らすにはどうすればいいか。それはスクールカーストの下位にいるいじめられている人間がスクールカーストの評価軸の外に出てしまえばいい。つまり不登校になって、学校でうまくやっていける能力を評価する場ではなく、別の能力で評価してくれる場へと移ればいいということだ。

 

わかりやすいのが勉強やビジネスという場だ。具体的な例でいえば小飼弾家入一真などがあげれるだろう。彼らの場合は特殊だとしても、学校になんて行かなくても、勉強やビジネスなど、社会で認められる能力さえ持っていれば、学校のみんなに認められる必要なんてないということは明らかだ。

 

無理して学校に行って、精神を壊して、ましてや自殺なんてする必要なんて絶対にないと僕は強く主張したい。

 

だが現実問題、不登校になると、学校や社会や親や世間が、なんでだがわからないけど、問題視して、学校に行かないこと=悪だと決めつけて、いじめられて辛い目にあって死にたいとさえ思っている人間を、拷問させるかのように学校に通わせる。

 

学校で起こるいじめが、会社であれば、確実にパワハラで訴えられる案件なのにもかかわらず、それに耐えろと言っているのだから、ある意味で社会に出るよりも辛いことを子供に強いている。こんなことが許されるわけがない。

 

だから僕がオススメするのは、カジュアル不登校だ。「学校に言ったら下駄箱に腐ったパン入れられし鞄に画鋲入れられてるし、、なんかもう辛いんで、行きませーん」っていう当たり前のこと(いや本当に当たり前だからね!)をみんなが認めてくれるようになれば、いじめられている人間に、「逃げる」という選択肢が加わって、かなり楽になるんじゃないかと思う。

 

人間関係方面の悩みで、友達がいなくて不安っていうのも、ネットを使えばいくらでも気の合う人間と会えるから、学校にこだわる必要がない。

勉強方面の悩みで、学校教育が受けられなくて不安っていうのも、図書館で本を読むなり参考書を進めた方が、勉強の効率が高いのは明らかだし、今はネットのコンテンツも充実しているから、わからなくても丁寧に教えてくれるだろう。

 

学校に行くメリットなんて、友達と会うくらいしかない。その友達がいないならメリットなんてないし、ましてやいじめられるならデメリットしかないということだ。

 

そういうことだから、現在いじめられている人間は、もっとカジュアル不登校になった方がいいよという話でした。

 

参考図書

本を読んだら、自分を読め

本を読んだら、自分を読め

 

本を読んどけば、学校行く必要ねー、という本。

我が逃走

我が逃走

 

 ビジネスができれば、学校行く必要ねー、という本。

 

参考リンク

withnews.jp

辛いなら図書館こいやー、受け入れてやんよ、というリンク。

zaimの閑歳孝子が夢がある

会社を辞めずに夢を追う方法―Zaim 閑歳孝子“プライベート開発のすすめ”[1] | CAREER HACK

読んだ。23歳からプログラミングを学び始めた僕からすると、夢があるな、と思う。慶應SFCの高学歴卒とはいえ、人脈が豊富だったとはいえ、アプリ市場がバブルだったとはいえ、29歳から始めて、そのアプリが上場を果たすというのは、普通にできることではない。遅くからプログラミングを始めて夢を叶えることができる証明は、すべてのプログラミング勉強している人間にとって、希望の星になりうるのではないか。

 

プログラミングを始めるのはやはり早ければ早い方がいい。若い人間ほどやるべきだろう。何の地位がなくても、技術力一つあれば、いくらでも戦うことができるからだ。ネット以前の、いろんな根回しをしないと、商売も何もできなかった時代との大きな違いだ。

ネットとプログラミングを使いこなして金儲けができるようになれば、今の時代生き残りやすくなるよな、とつくづく思う。この事実に高校生の頃の気がついておけば、もっと上を目指せていたかもしれない、けど後悔しても意味のないことだ。

 

今は前を、未来を、見ていればそれでいい。

 

ここ1年くらいは、IT系に非常に興味があって、ジョブスやザッカーバーグやグーグルや、ITベンチャーの本ばかりを読んでいる。理由はやはりなんかかっこいいからだ。

スーツじゃなくて、パーカー着てフードかぶって、なんかパソコンカタカタしてすごいことやってる、長門みたいなハッカーは見ているとかっこいい。

 

ペーパーバック版 スティーブ・ジョブズ 1

ペーパーバック版 スティーブ・ジョブズ 1

 

 

もともと僕は文系でアニメや漫画や小説ばかりの典型的なオタクナードで、そっちのオタク文化に傾倒しすぎたあまり、テック系には興味が向かなかったというだけで、機会さえあればどはまり敷いていた分野なのだと思う。やはり同じオタクってことで、ギークとナードは相性がいい。

 

何で相性がいいのかというと、物理空間に制約されないのがオタクだからってことかもしれない。フェイスブックなんかは物理空間の現実の関係が反映されているから、ヤンキー向けだけど、ツイッターなどは匿名文化でオープンで見知らぬ人をフォローするからオタクっぽい。

 

僕のオタクの定義は、常人よりも、物理空間ではなく、情報空間に臨場感を抱く人間だ。

物理空間に臨場感を抱いているから、ヤンキーは地元の人間関係をいつまでも大事にするし、オタクは情報空間に臨場感を抱いているから、二次元美少女キャラをいつまでも大事にする。

 

ようはオタクの方が頭がいいってことだ。頭がよすぎて、本能の赴くままに動けないから、繁殖できないんだけどさ………。

 

それはそれとしても、同じオタクなら、ナードではなくギークになっておいた方がいいよな、と強く思う。

 

二次元の美少女を愛するよりは、コードや数式を愛していた方が、社会的な地位にありつけるってことだ。

 

この辺りはやはり親の教育が大きいよな、と思う。

 

僕の両親はあまり教育熱心とは言えない、放置主義だったんだけど、せめて勉強方法の本だったり、プログラミングの入門書だったり、あとマックのノートパソコンなりを机に置いておくだけでも、してくれてもいいんじゃなかったかと思う。

学校に行くの辛いけど、勉強する意欲さえあれば、いくらでも成績があげられるわけだからさ。最近は武田塾みたいな、参考書だけで独学でやることをお勧めしているところもあるわけだから。こういうのを知っているだけでも、僕はもっと上の大学にいけたかもしれない。この本を机に置いておくだけでも、もっと僕は上にいけたかもしれない。それも後悔しても意味のないことだ。

 

今は目の前のプログラミングの勉強のみに集中して、優良企業に入ることのみを考えていればいい。

 

 

興味さえ持てば、あとは勝手に勉強という名前の遊びを始める。ザッカーバーグなんかはパソコンを買ってもらえて、興味を持ったら、教師までつけてくれたという。高校生の頃にはすでに、プログラミングだけで、何千万も稼いだとか何とか。やはり夢がある。そのことを僕が高校生の頃に知っているだけでも、学校の勉強がつまらなくとも、そっちの才能に目覚めていたかもしれない。

 

それも後悔しても意味ないことだ。今できることを最善を尽くせばいい。

 

zaimのような例があるだけでも、遅咲きでも成功できることがあるんだと知っているだけでも、プログラミングをやるモチベーションが上がる。

 

やはり夢は大きく持ちたいものだ。

 

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

 

 

僕が小説を読まなくなった理由

僕は十代のとき、かなり小説を読みまくっていた。10代前半はラノベを、後半はミステリー小説を、そして20代になってからは、SFを読みまくっている。

徐々に趣味嗜好が大人になっていると言っていいだろう。ただ、僕自身これまで何千冊と小説を読んできたわけなんだけど、それによって何かいいことがあったかっていうと、そうでもない気がする。ただの娯楽なんだから別にメリットなんてなくていいだろ、って言われればそれまでだけど、でも同じ娯楽をやるならもっと自分にメリットが欲しいっていうのも事実だ。このように思うようになったのは、二十歳くらいからノンフィクションをよく読むようになってからだ。

 

フィクションはいいけど、ノンフィクションはもっといい

例えば、フィクションを100リソース振るのと、ノンフィクションに100リソース振ると、楽しむということを抜けば、圧倒的にノンフィクションの方がリターンが大きい。

小説は読むと楽しいといえば楽しいけど、もう10代のうちにその楽しさを十分以上に楽しんだ節があって、もうこれ以上そこにリソース降っても、これ以上の楽しさを得られない感じだ。ハルヒとか西尾維新とか、僕がはまった作品たちっていうのは、時代を象徴する作品で、10代のうちはそれにどはまりしていてもよかったのかもしれないけど、世界ってのは別にフィクションだけでできているわけじゃなくて、むしろ僕の生きているこの現実は確かにフィクションみたいにご都合主義でできているわけじゃなくて、生きていて辛いこともあるけど、でも楽しいことだってたくさんあるわけで、そこに目を背けて、フィクションに逃げるっていうのは、世界の芳醇さを否定しているよな、っていう考えに最近はなっている。

あと前にSF作家の野尻氏が小説ばっか読んでいると馬鹿になるぞ、と言った発言をしていて、一人の小説好きとしてはいやそうじゃないよ小説は素晴らしいものだよ、擁護するべき立場にあるわけだけど、小説好きだからこそ、やっぱり小説読むと馬鹿になるよなっていう実感があって、しぶしぶ肯定している。

野尻抱介「中学になったらラノベなんか読むな、大人の本を読め。大人の本で本物の教養やセックスや暴力や愛や人生を学べ」「中高生に迎合したラノベなど消えてなくなれ」

なんで、小説を読むと馬鹿になるかっていうとさ、やっぱりフィクションって情報を得る手段として効率が悪いわけなんですよね。そこはエンタメを主眼にしているから仕方ないとしても、もうちょっと何か得るものが欲しいと思うわけですよ、特に大人になると。若い時はフィクションばっかり読んでいてもあんまり困っているっていう実感がなかったんだけど、大人になってくると、いろいろと知識をつけてお勉強する必要が出てきたわけでさ、必要性って観点からもなんか下手な小説読むよりも、名著のノンフィクション読んで教養深めといた方がいいよねってことなのね。

あと、お勉強って若い時は嫌いだったんだけど、初めのわからないって状態を脱するまで我慢して真面目な本を読んでいるとさ、そのうちに知識欲ってやつが目覚めて、もっとノンフィクションを読みたい、もっと現実の世界を知りたい、っていう状態になったのね。

多分僕の場合は、社会調査のウソっていう本が、初めにこの現実世界に対して興味をもたせた本だったと記憶している。 

「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)

「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)

 

 この本のおかげて、新聞のような公的に信用されているようなものでも平気でウソを書くことを暴かれて、この世界はもっとうまくできていると思っていた僕の認識を、ガラッと変えられた。なんだよ、世界ってダメダメじゃん、みたいなさ。

多分いろんな本を読むようになって、一番得たものって、この世界っていうがどれだけうまく回ってなくて、不備だらけだってこと思い知ったことなんだよね。それこそフィクションみたいなご都合主義じゃないってことなんだけど、フィクション好きの僕ですら、もっと現実世界はうまくできているご都合主義でできていると思ってたのに、その認識がやっぱり現実ってクソゲーじゃねーかっていう確認できたのね。

ただだからと言って、現実に悲観しているわけじゃなくて、そんなクソゲーみたいな現実世界をよくしようと活動している人たちの姿も多く見てきてわけで、今まで物語の登場人物にしか共感してこなかった僕が、だんだんと現実の人間も結構やるじゃねえかになってきた。

 

現代において小説に力はない

100年前のネットがなければ、さらにテレビもなかった時代、もっとも流布していたメディアは小説だった。

僕は映像の世紀っていうドキュメンタリーで知ったんだけど、100年前の世界中で尊敬されるスターっていうのは小説家だったらしい。まあテレビで芸人が見られないなら、小説家に大衆が目写りするっていうのは当然といえば当然だ。

映像の世紀でいろんな場所を汽車を行脚して、その度に大衆に盛大に出迎えられているシーンを見ていて、ああ100年前における、ユーチューバーってトルストイだったんだろうなー、とか思いなが見てた。

 

ブンブンハローノベル、どうも、トルストインです、みたいなww

 

ただテレビが台頭して、さらにネットが台頭して、相対的に小説というメディアは力を失っているっていうのが現実だろう。今一番注目されていて力を持っているのは、ヒカキンやはじめしゃちょーとかで、小説家っていうのは、もう大した力を持っていないんじゃないかと思う。かろうじでハルヒとか化物語、あと東野圭吾とかのミステリー小説(ミステリー小説は謎解きっていうストーリー展開のギミックがある点で、他のマンガやラノベと差別化を図っていて、しかもドラマ化との相性もいいので、人気を保っている)が力があるかもしれないけど、それもアニメやドラマていうテレビの力を借りているからできることだ。もう小説単体の純文学にはなんの力もないっていうのが、僕の見解だ。

だから最近マンガ大賞を受賞した、小説家になる方法っていうマンガがあって、立ち読みした感じ、そこではまだ小説の活字の力を信じている、っていうのが描写されてるんだけど、うーん、僕はそれには否定派の人間だ。 

響~小説家になる方法~ 1 (ビッグコミックス)

響~小説家になる方法~ 1 (ビッグコミックス)

 

 ハルヒ化物語もアニメの力を借りて有名になったし、この前芥川賞を受賞した小説だってテレビの芸能人だったし、小説単体にしかも純文学にはもう力がないよね、って思っていて、その認識に至らないのは、純文学の世界に身を置いていて、世界が見えていないんじゃないかーとか思っている。僕はそういう風に自分の好きなものがナンバーワンだって思う青臭さは好きで、昔の僕がそんな感じだったから、シンパシーを感じるんだけど、実際問題やっぱ小説に力ないっすよ。今はヨウツベマンとか実況者とか、あとマンガのワンピースとかが主流っすよ。ハルヒ純文学はオワコンっすよ、と指摘したくなる。

 

それでもSF小説はまだ使える

僕はラノベやミステリー小説は読まなくなったけど、SF小説はまだ読んでいる。それってなぜかというと、SFには人々に未来へのビジョンを見せるという機能がついているからだ。SF小説を読むことはエンジニアの基礎運動だ、と小飼弾が発言していた通り、SFにしかできないあ科学とテクノロジーに基づいた、根拠のあるファンタジーっていうのは、人間の想像力を育むための道具として有用である。それは他のマンガやラノベやアニメではできないことだ。そこに差別化がなされていて、しかも僕はエンジニアになるために今は修行中なので、息抜きついでにフィクションも楽しみつつ、アイディアも得て、一石二鳥のお得な読書ライフを満喫している。

 

まとめ

小説で得たものもたくさんあったけど、10代の頃もっとノンフィクションを読んでいれば、もっと社会的に上にいけた、もっと現実への還元率を高めてリアルを充実させることができたかもしれないという、後悔があることも確かだ。

もう十分ラノベもミステリもマンガもアニメも楽しんだから、これからノンフィクションで教養を高めて、SFで想像力を養っていきたい。

 

今回はそのための決意表明だ。

 

もっといえば、本だけじゃなくて、いろんな人とも会って人生を楽しめたらいいよなー、と最近は考えている。

 

ようはもっと楽しく生きたいから、小説を読まなくなったって話だ。

 

フィクションもノンフィクションも含めて、この世界は芳醇だからな

 

弱者はまず面白い人になるところから

www.keikubi.com

読んだ。感想。

 

結論から言うと、社会的弱者にいる人間というのは、こういった感じに、面白い人になって注目を集めれば、幸福になる確率が格段に上がるよね、という話だ。

 

 

上記の記事で、

私は高卒で「学歴」もありません。

何か特別な「資格」「才能」もありません。

と書かれているが、、学歴や資格はないかもしれないけど、ブログを書く才能があることはこれだけたくさんの読者を楽しませることができている時点で明白だ。 僕もファンの一人で毎回楽しみにしている。みんなもそれはわかってるし、ご本人も薄々気づいているのではないだろうか。

ブログを書く才能というよりは、自分自身の不幸な生い立ちを、洒落化する能力、抽象化する能力、アーティスト的能力がずば抜けてるといった方が正しい。

というかあのイラストは一体なんなのだ!?ゆるふわに書かれているから、忘れがちかもしれないけど、相当やばいからね、あれ。首吊ってるイラストもあるし、本当に自殺しててもおかしくない人生歩んでるからね、あれ。いやはや、人生自体がゆるふわな僕には及びもつかない世界だ。

 

 

仮にそのアーティスト的な能力がなければ、今頃誰の目にも止まらないまま、野垂れ死んでいたかもしれない。逆に言えばその能力があれば、これから先、成功する人生もありえるのではないか、ということを僕は考えている。

 

なぜかというと、僕が最近読んだハイコンセプトという本で、ちょうどそういう能力がこれからの時代必要になるよ、みたいな話が書かれていたからだ。

 

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

 

 

以下、ハイコンセプトとは何かの引用。

 

 ・「ハイ・コンセプト」:芸術的・感情的な美を創造する能力、パターンやチャンスを見いだす能力、相手を満足させる話ができる能力、見たところ関連性の無いアイデアを組み合わせて新しいものを生み出す能力など。

・「ハイ・タッチ」:他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取れる能力、自分自身の中に喜びを見いだし、他人にもその手助けをしてやれる能力、ありふれた日常の向こうに目的と意義を追求できる能力など。

 

・機能だけでなく「デザイン」
・議論よりは「物語」
・個別よりも「全体の調和」
・論理ではなく「共感」
・まじめだけでなく「遊び心」
・モノよりも「生きがい」

 

などなど。めっちゃざっくりいうと、これからの時代、頭がいいやつより面白いやつの方が得するよ〜、という話だ。その一言を理解させ納得させるために、何百ページという紙幅が割かれている。

んで、ハルオサンは確実に面白い。格段に面白い。物資が満ち足りた現代において、求めらているのってそういう面白さだ。そういう面白いことができる人間は生き残ることができる。需要を満たしてくれた消費者は、きっとクリエーターに応えてくれるはずだ。

 

ただし、残念なことに面白くない人は生き残ることができないのがこの世界の残酷なところだ。大した学歴もなくて、大した職にもつくことができず、それでいて性格の悪くて面白くない人間ってのは、これから先かなり辛い生活になることが目に見えている。

 

だからせめて、今現在学歴もなく給料の少ない仕事に甘んじているという人々はハルオサンハを見習って面白いことをやる面白い人間になるように心がければいいのではないか。確かにその面白い人間コンテストにだって、競争はあるんだろうけど、面白さで食っていけない人も出てくるんだろうけど、それでも面白いことをやっていれば誰かが注目してくれるし、注目させしてくれれば、最低限面白くて性格のいい人を死なせないようにするくらいの豊かさが日本にはある。

 

本当にやばいのは、誰にも注目されないことだ。注目されず、孤独に死んでいくことは不幸な出来事だ。そして、そんな出来事が、僕たちが知らないだけで、きっとどこかで起こっている。

だからこそ注目されることが重要だ。そして注目されたいならば、面白さが必要だ。ただ不幸な生い立ちをそのままんま記すだけでは、大衆に引かれてしまう。人間は不幸な出来事を長いこと直視することはできない。それは僕たち日本人が海外で野垂れ死んでいる子供達をほおっていることからも明らかだろう。

 

だからハルオサンを見習って、仮に不幸な人生だったとしても、それを洒落にしてやればいい。そうすればみんながあなたを応援してくれるはずだ。

 

ネットというインフラが最大限生かされる機会が、おそらく面白いけど貧乏な人間を生かすことができるという点ではないだろうか。確かに、ネットによって、金持ちがさらに金を儲けて、人気者がさらに人気になるという構造があるというのは事実だ。

それでもハルオサンのように、ネットがなければ誰にも届かなった声がみんなに届くことによって、少なくない人が救われるのもまた事実だ。僕はそういうところにネットの可能性を感じているし、これからもネットによってたくさんの人が救われると確信している。

 

だからまず始めにやることは面白くていい人になることだ。

 

それこそが、何者にもなれない僕たちにできる生存戦略である。

 

参考図書

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

 

 面白い人になろう、という本

 

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略

 

 いい人になろう、という本

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

 不幸を洒落にしよう、という本

この世界にいないフリが得意

過去の記憶があまりない。

 

あってもロクなものじゃないやつばかりだ。こないだなんて、俺のことをいじめてきたクラスの連中にダイレクトアタックかまして、墓地に送る夢を見た。どれだけ俺は恨みを持っているんだ。たまに見る悪夢はそんなやつばかりだ。どうせ見るなら美少女が出てくるものにしてくれ。

昔から人間関係をやっていても、楽しいことはなくて、辛くて面倒なことばかりだった。だから、小学校からずっとゲームと漫画とアニメと小説にばかり傾倒していた。それらをやっている時だけが、僕の心を癒してくれた。

教室にいる時、僕はこの世界にいないフリばかりをしていた。誰かに話しかけられても、適当に返して、会話をするつもりはない、と態度で示していた。ラノベばかりを読んで、誰とも会話をしていなかった。

頭がよくて勉強ができて、お前たち馬鹿どもと話す口はない、とならまだ格好がついたかもしれない。あいつは性格最悪だけど、頭が切れる、と言うなら、なんか物語の主人公っぽい。しかし頭の悪くて、オタク趣味を持っていて、その趣味を誰とも共有するつもりがない、コミュニケーションをとるつもりもない、やつなんて、ただダサいやつで、俺だってそんなやつとは関わり合いたくない。

 

自己嫌悪。

 

そんな自分がいやだから、自分なんて初めからいない設定にするのが、僕の処世術だったのだろう。人に認識されると、いることになってしまう。僕の無能さが露呈してしまう。だから友達は作らなかった。初めからパラメーターを無にしておくのが良かった。

 

マイナスになるくらいだったら、ゼロにしてしまった方がいい。

 

僕が小学校の頃、ゲームをやりまくっていたのは、リアルの自分を消すためだった。リアルにいても、ロクなことがなかった。人にはいじめられるし、勉強もスポーツもできなくて、劣等感ばかりが募るばかりだ。しかし、ゲームの中では、僕はプラスの人間になることができた。そうなった時、僕にはリアルの価値はなくなっていた。価値がないといより、そこにいればいるほど、ヒットポイントが削られていく、毒状態なのがリアルで、なんか他の人間は普通に動けてるみたいなんだけど、俺だけ歩くたびにピコンピコン言ってて、すぐに目の前が暗くなるのが、俺にとってのリアルで、じゃあそんなリアルなんていうクソゲー初めからやらずに電源切って、代わりに部屋にあるゲームの電源つけてそっちにずっといた方いい、毒になってピコンピコン言ってもポケモンセンターに入れば治るしこっちのゲームの方が断然いいじゃん、ってのが当時の俺にとっての合理的な判断だったのだろう。

 

そしてそれが今も続いている。

 

変わる機会はあった。高校に入った時、大学に入った時。今だってそうだ。けど、結局僕は変えようとはしなかった。変えずに、ここずっとはネットサーフィンして、リアルに参加するんじゃなくて、観察者だということにして、神様にでもなったつもりになって、俺はリアルなんてゲームやってないから、別に負けたわけなんかじゃないもんねー、などと卑怯な言い訳ばかりをしている。

 

なぜそんなことやっているのか。結局自信がないからだ。人と関わるのが、勉強するのが、自分にできるとは到底思えなかった。いつでも僕の上位互換がいた。上位互換がいる以上、僕の存在価値って何?という問いに至ってしまう。その問いに耐えきれず、じゃあそんな評価軸の外に行っちゃうもんねー、と逃げをする。そんな問いなんてぶっ壊して、上にいる連中全部ゴッ倒すくらいの、少年漫画の主人公みたいなこと言えれば、そりゃあ苦労しなかったんだろうけど、僕はただこんな風に言えればいいな、と妄想を膨らますだけで、何もやらなかった、負けるのが怖くて何もやらなかった、負け組以下の存在だった。

 

そのツケが、今の状態だ。

 

就職しようと思っても、就活をすること自体の勇気が僕にはなかった。だって、僕ごときを雇ってくれる会社があるとも思えなかったからだ。しかし、もうこのリアルというゲームの電源を落とすことはできなかった。タイムオーバーだ。だって電源をいざつけてみた時、俺はまだマサラタウンで、ずっと部屋で横になっていて、オーキド博士にもあっていない。

それに対して同年代の連中は、今四天王に挑戦しようとしている。社会に出て活躍しようとしている。完全に出遅れていた。毒状態だからってバグが起きてるから、電源落とすんじゃなくて、それでもなお、レベルあげを頑張っていれば、きっと行けたはずなんだ。俺と同じ状態にもかかわらず、頑張ってちゃんとジムバッチ集めてた連中もいたはずなんだ。

 

しかし、一つだけ救いだったのは、俺だってレベル上げもどきはやっていたことだった。それは攻略本読んでいたことだ。娯楽としての小説などの読書じゃなくて、勉強のための読書をここ3年くらいで初めて始めたんだ。初めは、3年前、二十歳くらいの時にノンフィクションを読み始めた時ってのは、まあひどくて、与沢翼の本を読んですげーとか純粋に感動していた(馬鹿だろ?)あと、ホリエモンとか勝間和代とか、そういうわかりやすいテレビに出ている、ベストセラーという名前の馬鹿の買う本とやらを、そりゃあ喜んで買っていた馬鹿なやつだった。

 

でも、暇な時間を持て余していたので、ほぼ毎日一冊頭いい系のノンフィクションを片っ端に読むというのを3年続けたら、今や社会契約論とか、自由論とか、そういう古典も楽しめるまでになっていた。と同時に、学問の面白さにも僕は気づいてしまった。

この状態に、高校生の時点でなっていたら、僕は間違いなく東大を目指して、本気で学問の道を志したであろうという、そのくらいの好奇心だ。

しかし今更遅い。いま考えるべきなのは、どうやって金になるものをやるかということだ。勉強したい欲はある。しかし、営業などの、体育会系の仕事は務まりそうにない。

というわけで、プログラミンの勉強をやって、スキルを磨いて、金を稼ごうというのが今の僕の希望だ。

ちょうど人工知能の本も結構読んでいて、興味があった。そして人工知能によって、この世界の仕事の半分が将来的には消えることも。

底辺学校を出て、人と関わるのが嫌いな人間である以上、ならばせめて知識を差し出すことによって、組織に貢献する必要がある。その知識さえも、東大とか出た高学歴どもと戦う必要がある。

彼らは上位互換だ。勝ち目はないかもしれない。しかし、だからと言って、ゲームを降りるわけにはいかない。

そろそろ世界にいるフリなんてやめるべきだろう。俺はここにいるんだから、素直にここにいるんだって、言えばいいんだ。言えないのは、その時人に認識されて、ああただの誰かの下位互換ですね、と言われるのが怖いからだ。比べられた時、僕はここにいる価値がなくなる。

だから社会に認められる評価軸を、具体的にはパイザでAランクをとるという評価を得ることができれば、僕もこの社会に参加してもいいんじゃないかと、四天王に挑戦してもいいんじゃないかと、思えてくるんだ。

 

その時初めて、俺はこの世界にいるんだと、堂々と言うことができる。

上の世代のSF好きのオタクは世界観消費だから萌えキャラがわからない

映画、アニメ、漫画、には4つの要素がある。

 

つまり、世界観、物語、キャラクター、テーマだ。

てなことをジョジョの原作者が言っていた。 

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

 

 

ジョジョであるなら、あのおどろおどろしい奇妙な世界観、ピンチをチャンスに変える発想の切り替え、特徴的なセリフを吐くキャラクター、そして人間賛歌というテーマがあげられる。

 

そして、もっとも世界観を重視した作品が、SFだろう。科学という材料を元に、重厚に世界観を構築してしまえば、それだけで、一品の小説になる。その時には魅力のあるキャラクターというのは、むしろ世界観を汚すノイズになり得る。押井守攻殻機動隊が、あれほど無機質なキャラが描かれているのは、押井守が世界観を重視して、その純粋性を抽出するために、あえてキャラを立てないように描いた。

 

そして岡田斗司夫他、SFファンたちが、こぞって最新のSF映画を見にいくのも、どれだけ世界観をうまく構築しているかを見にいくための世界観消費をしている。

逆にキャラを主に売りにしている、最近のラノベを軽視しているのも、そこらへんにあるのではないか。

 

上の世代と今の世代のオタクの、最大の違いの一つがキャラに萌えて、キャラを消費するか、という点にある。あるいは硬派化か軟派か、知能指数の違いかもしれない。

 

確かに4コマ漫画の美少女日常系のアニメを見ている時、少なくとも僕は頭の中が天国になって、著しくIQが下がっている気がしてならない。対して上の世代の教養主義的なオタクは、SFオタクと名乗るためには、1000冊読んでいないとダメ、というある種エリート思想があった。

 

今のグッズを買って、仲間とワイワイみたいななんちゃってオタクっていうのは、彼らからみると奇異に映るのかもしれない。僕も、ワンピースとかラブライブだけ見て、僕ってオタクなんですよ、っていうキャラ付けでオタク名乗る連中を、けしからんとか思ってしまう側の人間だ。まず100本100冊腫瘍のアニメと漫画を見て読んでしてからだな、ワンピとナルトはメジャーだけど、まあ読んでおくかみたいなスタンスでな、とつい説教したくなってしまう。

 

説教というよりは、僕のオタクというアイデンティティという聖域に、にわかヤンキーなんちゃってオタク共に、侵犯されるのが、我慢ならないのかもしれない。我慢ならないから、てめーは違う民族だ、とばかりに自分の国境に策を作って、アニメ100本漫画100冊が、パスポート代わりにしているのだろう。ま、そういっている僕も、きっと上の世代の硬派なオタクからは、てめーはオタクじゃねえ、SF1000冊読むのが,

俺たちのオタクの国に入るパスポートだ!!、とばかりに説教されるのかもしれないが。

 

結局のところ、人間というやつは、他者と差別化することによって、群れの中で目立つことで、異性をくっつくということを歴史上ずっと繰り返してきたわけで、だからスポーツやイケメンという、王道の魅力を手に入れることのできなかった、人間はオタク趣味というマイナーな文化に手を出し、それを楽しむ俺たちTUEEEEという形で他者と差別化するという戦略に出たんじゃないか、というのが僕の仮説だ。

 

その時に必要なのは、どれだけの知識を持って、オタク趣味を語れるということだ。決して、美少女キャラにどれだけ萌えられるかということではない。どれだけ萌えられるかを競ったのでは、馬鹿ななんちゃってオタクと差別化できないからだ。

 

ただし、もうすでにメジャーなものになってしまったオタクコンテンツで、他者との差別化をしようということが土台無理なもので、だからヤンキー気質な連中は、ラブライブSUGEEEE!!と盛り上がって、差別化ではなく、群れることによって安心を得て、僕のようなオタクは他者との差別化が図れずとも、こうして自己満足のためにオタク語りをする。

 

この辺りに、モテと非モテの格差があるんじゃないかな。僕もなんちゃってオタク共のように、ハルヒTANOSHIIIIIIIIII!!てな感じに、連中と迎合して、あわよくばオタサーの姫みたいな女の子と付き合えればいいのだろうが、もうすでにその時期を失した。

 

ならばせめて、自己満足のような濃いオタク話をして、濃いオタク友達を作りたい。

 

あれ、ただの願望?ま、コミュニケーションのための道具としてオタクコンテンツは割といいと思いますよ。ならそれを使わない手もないだろう。ただしワンピラブライブマンセー共、てめーらはだめだ。完全に異民族への差別だが、やはりだめだ。

 

ヲタクに恋は難しい (3)

ヲタクに恋は難しい (3)

 

 

僕もこんな感じで、ヌルい趣味で繋がって、ちゃんと恋愛がしたかった。濃いじゃなくて、恋が欲しかったぜ。

あなたが洋書を読むべき理由

利己的な遺伝子読んでる。

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

 面白くて知的好奇心をそそられる内容だが、いかんせんやはり難しい。実はこの本今回で四回目の挑戦だが、今まで一度も最後まで読めた試しがない。それだけ内容が濃いということだ。

 

そしてそれが洋書を読む最大のメリットでもある。

 

日本のベストセラーと世界のベストセラーには決定的な違いがあって、それは何かと言うと馬鹿がそれを買っているかどうかということだ。日本のベストセラー、最近だと芸能人の書いた火花や、あと池上彰とかがそうだろうか、ああいった本は馬鹿が買うからあれだけ売れている。ベストセラー=馬鹿が読む本くらいの認識でいいだろう。しかしそれは日本人が馬鹿だからというわけではなくて、日本の中間層の厚さを意味している。

 

本の学校教育は、いろいろと欠点があることは事実だが、世界的に見るとかなり高レベルだ。アメリカが、金を出さないといい小学校にもいけないという状態に対して、日本は中学校まで無料で平等にそこそこ高品質の教育を受けられるからだ。

 

日本では、そこそこ頭がいいやつでも本を買うのに対して、アメリカでは本当に頭がいいやつしか本を買わない。だからアメリカのベストセラーというのは、頭がいいやつの選んだ頭のいい本であり、さらにそのベストセラーの中から、頭のいい翻訳者がキュレーションしてくれるので、高クオリティの本を期待できるということだ。

 

さらに、こと学問の領域においては、アメリカやイギリスの大学がトップに躍り出ていることを鑑みれば、学問的な見地を得ようと思えば、日本の学者が書いたものではなく、海外の世界のトップをいく人間のものを読むがのがいいだろう。

 

一番いいのは、英語が読めて、英語のまま原著を読むことなんだが、さすがに僕にはそこまでの英語力はない。仮に僕に子供がいたとしたら、高校までに、ハリーポッターが原著で読めるように、ネットの英語が勉強できるコンテンツを提供することだろう。

 

学校教育はあまりに無駄が多すぎで、頼りにならない。おそらくこれからは教育への意識が高い富裕層ほど、国家の提供するものには頼らないで、私塾のようなものを作って、意識の高い子供同士をつなげるようにしていくだろう。今それを担っているのは私立の意識の高い学校だ。

 

こうして、貧乏人は公立の底辺どもと底辺の勉強をやらされてやる気もなくして、さらに底辺へと落ちていく。富裕層は実学や教養を身につけていく。格差をさらに広がり続けるという、未来が僕にはありありと予想ができる。

 

そういう現状に勘のいい貧乏人の子供は気づいていて、自分が成り上がるためには、ユーチューバになることなんだっていう意識を持っているからこそ、将来の夢ランキングにヨウツベマン上がること理由なんじゃないかと、僕なんぞは思っている。

 

 

僕は底辺の学校の出だけど、今更ながら、学問に興味を満ち始めていて、大学院に入って、真面目に勉強して、社会に機能をもたらしたいと考えている。

 

ヨウツベマンよりもちゃんとした教養を持ってこの世界に機能を見たらす人間の方がはるかに意義のある存在なのだから、僕は大学院まで国家が保証して無料でいける状態にするべきだという考えだ。47都道府県のそれぞれに47個東大レベルの国立大学をおいて、入試はなし。その代わり大学が課す課題をクリアできなければ、中退させるって方針だ。国民の血税で無料で通わせてもらえるのだから、当然の処置だ。そして正しい知識を持って、社会に貢献していく人間を育て上げるのが、正しい教育のあり方だと、現時点では考えている。

 

結局、日本には天然資源がなくて、人材を育て上げて、生産性をあげることでしか、GDPをあげることはできないんだからさ、政府の上の連中には、貧乏人から搾取するんじゃなくて、貧乏人に富を作る技術を教えて、富を産んでから、国に還元するっていう方針の方が長期的にはいいと思うんだけどな。

 

大学院まで無料で行かせてもらったら、たいていの教養ある人間なら、感謝して自分の生み出した富を社会に還元するとおもんだけどな。それは僕が人の良心を信じすぎか?

 

それだって学校教育のやり方次第と思うんだけどさ。そもそも何のために勉強するのかって説明義務を怠っているのが、致命的にだめだ。だから子供たちがあれほど勉強に対して無気力になってしまう。何のために勉強するのかって言ったら、それは他人に貢献するためなのだから。自分のためだけだったら、ヤクやって異性とイチャコラやってりゃ人間幸せなんだからさ。

 

ま、社会に貢献できる人間候補を育てるためにも、世界のトップにいる人間の書いた洋書を邦訳でもいいから読んでおけよ、っていう話だ。

 

池上彰を読むのはせいぜい中高生までにして、大学からは、原著で最先端の論文をよでもらいたい。少なくとも僕に子供ができたらそうするように仕向ける。

 

ま、今のところはプログラミングを勉強して、その知識を生かして給料の高いところに入り込んで、金が貯まったら、一流の大学院に入って、ちゃんと勉強して、そのあとさらに待遇のいい職場に入りたいっていうのが、野望だ。

 

やはり知恵こそが富を生む。ユダヤ人は金持ちなのはそういう理由がある。

 

今はプログガミングを頑張る。そしていい企業に入って技術磨く。とっちらかったが、ようは勉強頑張りたいっていう意見表明だ。

 

それだけ。

 

以上