山本弘作品を読んだ感想。それと脳内人格の話。

MM9読了。面白かった。これで山本弘作品を読んだのは4作品目になる。アイの物語 (角川文庫)神は沈黙せず詩羽のいる街 (角川文庫)と続けて読んできたが、どれもぴかいちで面白い。特にアイの物語は僕の物語に対する見方が完全に変えてしまうほどの傑作だった。初めは傑作SF小説をかったっぱしから読むという名目で、アイの物語を読んだのだが、その出来栄えに完全に当てられて、作家読むすることになった。

僕の中ではその人の本を三冊も読めば、十分その作家のファンだと公言できる、っていう自分ルールがある。三角測量みたいなものだと思って、三つの視点からその人を見ればだいたい分かる、という見込みがある、っていうのが根拠なのだが。その条件を満たしただ僕は山本弘のファンで公言できるようになったわけだ。

 

今や僕は完全に山本弘ファンと化している。

それは山本弘が僕の脳内に住み着いている、ということを意味する。

 

僕が作家読みする本というと、ぱっと思いつくだけで西尾維新岡田斗司夫橘玲森博嗣苫米地英人くらいだと思う*1

本は作者の思考を言語化したものである。だからその人の本を読むってことは、その人の脳内を覗く行為である。三冊分以上の言語化された思考をなぞっていくと、その作家が脳内に住み着くようになって、自分の生活に影響を及ぼすという現象が僕には起きるのだけれど、みんなも割と経験があるのではなかろうか。

僕だったら、橘玲*2みたいな現実主義的な考え方になったり、

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岡田斗司夫みたいに突飛な考えが浮かんだり、f:id:Shinrei:20160521173620p:plain

西尾維新みたいに言葉遊びが思いついたり、f:id:Shinrei:20160521190049p:plain

森博嗣みたいに抽象的な考え方になったり、f:id:Shinrei:20160521190331p:plain苫米地英人みたいにゴールを設定してみたり、

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といったことが起こる。

 

作家が想像しにくかったなら、物語のキャラクターでもいい。ドラゴンボールだったらかめはめ波を、ナルトだったら螺旋丸を、ウルトラマンだったら赤白帽子でウルトラマンごっこを、仮面ライダーなら変身ポーズを、なりきる行為は小学生の間に一度は目撃しただろう。そして物語のキャラクターが与える影響というのは、その行為だけにとどまらず、思考にまで影響をもたらす。

ルフィの強烈な仲間意識に当てられて、仲間を大事にしようと意識を変えられた人間がどれだけいるかを想像すれば、その影響力が窺い知れる。

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僕であれば、涼宮ハルヒの憂鬱だろう。涼宮ハルヒの憂鬱という物語に入り込んでいるうちに、ハルヒキョンに自分を投影する。

キョンの非日常を求める想い。f:id:Shinrei:20160521193056p:plainハルヒの普通の人間じゃいたくない想い。

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僕はこの二人の想いを受け継ぎ、いまだに二人のあの痛切な独白が脳内再生されることがある。いまだに僕は非日常を求め、普通の人間でありたくないと想い続ける。

 

それ以外にもキュゥべえが人間性のない鬼畜な発言したり、

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風子ちゃんがヒトデを持って突然参上し、意味不明なことを言い残していくことも度々ある。

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同様のことが本を読んでいると起きる。物語を読むということは登場するキャラクターをロールプレイするということである。本を読むという行為は、著者をロールプレイするということに相当するのだろう。

人は模倣することによって学ぶ。親の言葉を真似て、言葉を覚える。だからオオカミに育てられた子供は人語を喋ることができない。それはほかの動物でも同じだろう。鶏と一緒に育てられた鷹は飛ぶことを忘れた、という話を聞いたことがあるが、ロールモデルを真似なければ、何をすればいいのか分からなくなるのは当然だ。ほとんどの場合ロールモデルは親だったり、他の同族である。

しかし、他の動物と人間の大きな違いは、本を通してキャラクターや作者を模倣して学ぶことができるという点だ。言語を操ることができる人間は、本が片手にあれば会ったこともない人物を、さらには想像上の人物をロールモデルとし、その人物をロールプレイすることができる。

人はそれによって、大いなる成長を遂げた。単純な知識だけでなく、優れた人格までも模倣することが可能になるからだ。

僕もまた本によって成長させられた人間の一人である。僕は物語に登場するキャラクターや本に書かれた作者の言葉から、数えきれないことを学んできた。本がない人生を思うと、僕がどれだけ未熟な人間であるかは想像に難くない。

本を読むことで、このキャラクターならこういったときどう行動するだろう、とか、この作家ならこのことをどう考えるだろうか、と人間は脳内で複数ロールモデルを作りそれらをロールプレイをすることができる。

 

僕は、この現象をある人格が脳内に住み着く、と呼んでいる。

 

普通に考えれば、一人の人間に一つの人格だけが存在するはずである。しかし、我々人間はそれほど単純なものではないことを、僕たちは知っている。そうでなければ、本音と建前を使い分けることはできないだろう。

僕の例を挙げるならば、SEALDsの是非に関して、ホリエモンはやるだけ無駄と一蹴し、内田樹は行動を起こすことをよしとした。僕はどちらの意見も理解できた。つまり僕の脳内にはホリエモン内田樹の両方の相反する人格が同居していることになる。

実に複雑な思考を人間はするものだな、と我ながら感心するばかりである。

 

さて。

山本弘の作品を読むことによって、僕の脳内に山本弘という人格が住み着くようになった。では、その山本弘が僕の脳内会議において、主張することとは一体なんだろうか。

 

それは、物語の力。そして論理の力だ。

 

僕の脳内に住み着いた彼はその二つを声高に主張する。

 

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語を読んだとき、僕は物語の力に魅せられた。ロボットのアイが語るのはただの「物語」で「フィクション」だった。だけど、「フィクション」はたかが「フィクション」ではない、物語は真実よりも正しいという、アイの力説に僕は物語を愛する人間の一人として、読みながら涙ぐみ力強く頷いていた。

 

神は沈黙せず(上)<神は沈黙せず> (角川文庫)

神は沈黙せずを読んだとき、神が仮にいるとして、それは一体何なのか自分の思い込みを一切排除し、科学的、論理的にその正体を探るその姿勢に僕は敬服した。そして神の力がなくとも、人は善意の行動をとることができると信じ、「正しく生きられますように」と神ではなく自分の胸に祈った主人公に僕は自分を重ねた。

 

山本弘の作品を読んで僕が学んだのは物語の力と論理の力だった。

 

物語は人を変えることができる

論理は人を幸せにすることができる

 

僕の脳内人格たる山本弘は僕にその二つのことを常に主張し続けるのである。

僕の脳内人格の中の一角として、きっとこれからもずっと。

 

 

 アイの物語は小説読みの僕が自信を持って勧めるSF小説だ。SF小説好きだけでなく、物語を愛する人間であれば、必読の書であろう。

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

 

 

*1:谷川流は何気にハルヒシリーズしか読んでいない。学校にいこうなどの谷川流のマイナー本は読んでいない。これだと谷川ファンというよりはハルヒファンというほうが正しい言い方だ。機会があれば読もうとは思っているのだがなかなかそんな気になれない。谷川ファン失格である。他には3冊以上読んでいる作家はいるのだろうけど、思いつかない。

*2:この画像はぱにぽにのキャラクターで、僕が言っているのは作家の橘玲です。ちょっとしたボケなのであしからず。