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MM9の感想。それと文字と映像の違いの話

 

MM9 (創元SF文庫 )

MM9読了。面白かった。って前の記事と同じことを言っている。いや、前の記事は本当は普通にMM9の感想を書こうと思ったんだけど、途中から話が脱線して脳内人格の話を書いた、っていう経緯があるんだけど、まあどうでもいいか。

 

改めて感想。

 

MM9は怪獣の話である。怪獣の話っていうと、ウルトラマンとかゴジラとか最近だとパシフィックリムとかが上がると思う。

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ただしこの話ではウルトラマンみたいに巨大化して戦う味方はいないし、パシフィックリムみたいな巨大ロボットもいないし、ゴジラに出てくるメカゴジラもいない。怪獣を倒すのは現代兵器である。

だからこの小説の世界は私たちの住む世界とほとんど一緒だ。ただ一つ。有史以来、人類は世界中で出現する怪獣と生存をかけて戦い続けている、という点を除けばだが。

この世界では怪獣が出現することが日常の風景である。気特対なるものがあって、自然災害に対処するのと同じ感覚で怪獣対策をするのだから驚きである。

僕は特撮ファンってわけではないが、ゴジラを筆頭として怪獣映画はけっこうもてはやされているように思う。しかし、怪獣を主題にしたSF小説というのはあまり聞かない。wikiを見ると、自重を支えられないはずの巨体や異常な攻撃能力を持つ「怪獣」が科学的にありえない、というのがその理由らしい。

MM9 - Wikipedia

 

僕もかつて空想科学読本を読んで怪獣があり得ない存在ってことは知っていたので納得である。

空想科学文庫 空想科学読本?[新装版]

 

その論法で行くと、科学的にありえない怪獣が映像で出てくる分にはいいが、SF小説に出てくるのは不味いということなのだろう。まあそうだろ。SF的考証を無視してしまえば、サイエンス(S)のないただのファンタジー(F)小説になってしまう。ファンタジー小説なら別に怪獣が出ても構わないということだ。とするとゴジラなどの怪獣映画がSF映画と名乗るのははばかられる気がするのだが、そのあたりの事情はどうなっているのだろう。まあ視聴者からすれば楽しければ何でもいいのだが。

 

じゃあこのMM9というSF小説はちゃんとSFやってるのかよ、っていう疑問が湧いてくるだろう。安心してくれ。ちゃんとSFをやっている。

本作品はこの問題に対するひとつの回答として、「多重人間原理」という架空の理論を掲げ、科学的にありえないはずの怪獣が大暴れする世界に合理的な説明をつけている。またこの理論は、怪獣の実在する世界に対するもう一つの疑問、すなわち「怪獣という現実と大きく異なる要素を持つ世界が、なぜ現実世界とほぼ等しい文化・文明を持っているのか?」という点についても本編中で回答を示している。

MM9 - Wikipedia

 

wikiより引用した。だいたいこの説明にMM9の魅力が語られているように思う。気になる人は実際に読んでみてくれ。

MM9 (創元SF文庫 )

MM9 (創元SF文庫 )

 

 

僕がこの本を読んで興味深かったのは、人間原理と神話宇宙という概念だ。

人間原理。僕がそれを初めに聞いたのは涼宮ハルヒの憂鬱だ。

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古泉「人間原理という言葉をご存知ですか?」

僕「うん。君から聞いた」

 

作中説明によると、人間原理というのは、宇宙は人間によって認識されなければ存在しない、という考え方である。そして、物理学者が解明してきたのがビックバン宇宙であり、我々現代人はビックバン宇宙を認識している。しかし、3000年前までは人類は意識を持っていなかった。宇宙を認識する意識がまだ存在していなかったのだから、宇宙もまだ現実には存在しなかった。現代から見れば、その時代の世界は現実ではなく、フィクションである。今よりずっとアバウトだったその宇宙こそが神話宇宙なのである。しかし、人間に意識が芽生えるにつれ、神話宇宙は衰退し、ビックバン宇宙へと収束が生じるようになる。これが「パラダイム・シフト」呼ばれる現象である。人が神の声を聞かなくなったのと同時に、多くの妖精や妖怪、古い神々は、人によって認識されなくなり、忘れられ、消え失せていった。しかし怪獣は例外で、巨大な実体を有する怪獣は、大規模な災害を惹き起こし、多くの人から恐れられることによって、存在を認識されている。パラダイム・シフトはまだ完全に終わっていない。その存在は依然として神話宇宙の物理法則に支配されている。だから自重を支えられないはずの巨体や異常な攻撃能力を持つ「怪獣」が科学的にありえない、ということもないのである。なぜなら怪獣は我々とは違う宇宙の物理法則に支配されているのだから……。

っていうのが、まあネタバレ。興味ない人は読んでいるだけで頭痛がするだろうが、僕はこういったいわゆるセンス・オブ・ワンダー的な感覚がけっこう好きである。この不思議な感覚を味わうためにSF小説を読んでいるといっても過言ではない。

そしてこの二つの概念が、我々の世界になぜ怪獣がいないのかを、合理的に説明してくれる。その説明を聞かされた途端、僕は、うおお、となんともいえない不思議な感覚に落ち着かなくなる。なんとなく外に出て、怪獣が街を闊歩していることを想像してまう。それはSF的考証によってもたらされたリアリティによるものなのだろう。映画を見ることで得られる想像とはやはりどこか違う。

 

これは一体どういうことだろう?

 

ゴジラやパシフィックリムを見ると、確かに映像によってもたらされる視覚情報によって、イメージはしやすいし、気軽に興奮と楽しさを与えてくれる。映画は間違いなく最高のエンターテイメントといえる。その点小説、特に小説は読むのがかったるい。本を読むのが好きな僕ですらそう思う。文字だけで絵も音もない。前時代的な娯楽である、と言ってもいいだろう。しかし、絵も音もない文字のみの小説だからこそのメリットがある。

 

それは読者に想像力を要求するということだ。

 

これは同時に致命的なデメリットでもある。想像力を働かせるということは、頭を使うということである。勉強嫌いな人間がこれほど多くいることを鑑みれば、頭を使うことが嫌いな人間もたくさんいると見ていい。誰だってわざわざ疲れることなどしたくない、と思う。だから小説を読まないという人がいてももっともな話である。

だが、小説を読むことによって、人は絵も音もないもやもやとした何かを想像する。その何かは風景かもしれないし、心情かもしれないし、概念かもしれない。MM9という小説は、論理の力を持って想像された怪獣達を僕に想像させてくれた。

何かは無限の種類の何かになることができる。そして頭の中に浮かんだそれは誰一人として同じ物がない。きっとそれは人間にとって大切のものだと僕は思うのだ。頭を使って得るだけの価値があるものなのだ。

その何かを得るために、僕は小説を読むのだろう。

 

ちなみにMM9は、モンスターマグニチュード9の略である。モンスターマグニチュードは怪獣の規模を表す単位である。そういえばパシフィックリムではカテゴリーという単位が使われていた。MM9とは神話からにのみ推定されている、史上最大最強の怪獣のことである。その正体は、小説を読んで君の目で目撃を……否、君の頭で想像して欲しい。

MM9 (創元SF文庫 )

MM9 (創元SF文庫 )