あなたはどのようにコンテンツを消費しますか?自分史編中高生時代

・中学時代

中学時代は部活もそこそこに、相変わらずゲームばかりやっているそこらへんにいるバカなガキ1号だった。当時もまた任天堂のゲームばかりやってた。ポケモンスマブラピクミンやマリオやカービィやらまあその辺だ。ああ、それと忘れてはならないのが、モンスターハンターだ。といっても、やる友達がこのころになるといなくて、一人で太刀を背負って狩りに行ってた……って書くと孤高の戦士みたいでカッコイイけど、ただのボッチだからね。まったく笑えない冗談だ。

この頃からインターネットを自宅でつなぐようになった。といっても土日だけ使えるという約束だったが。実際今のネット大好きっ子状態を顧みるにネット中毒は害になる可能性が大なのだから、離れさせた両親は賢明な判断を取ったと思う。といってもその代わりにゲームばかりやっていたのだから、中毒になるものの方向性が違うだけだったのだが。これが勉強中毒とかなら、また人生も変わっていたのかもしれないと違う世界戦の自分を想像するのは詮無きことと分かりながらもせずにはいられない。つくづく人間ってのは後悔する生き物だなと軽く絶望する。まあそれはそれとして。

土日だけのネット生活で僕がやったのはもちろんネットサーフィン。適当に動画見て、ついでにエッチな動画も見て、あとゲームの攻略サイトなんぞを覗いていた気がする。気がするってのは、なにぶん物心ついていない少年の頃だったから記憶があやふやだから。みんなは鮮明に少年少女時代を覚えているものなのかね。僕が思い出すのは思い出したくもない嫌な記憶ばかりなんだけど、僕がおかしいだけなのかも分からんね。ただそんな生きてるんだが死んでるんだがよー分からん僕にも燦然と輝く記憶があって、それだけは自信を持って良い記憶だと断言できる。

 

そう、涼宮ハルヒの憂鬱である。

 

初めて見たときの衝撃は忘れない。第一話。キョンのモノローグとともに、あの有名すぎるフレーズを高らかに宣言する涼宮ハルヒ。それはきっと大半の人には痛々しく映るのかもしれない。「何がわたしのところに来なさいだ。これがラノベククロリティ(笑)かよ。痛々しくて見てられんわww」という大衆の声が聞こえる。でもそのときの僕にとっては初めて感動と呼べる感動をした気さえしたのだ。ずっと死んだ目をしていた僕に初めて生気が灯った瞬間だったのだ。怒涛の第一話が終わった後にも驚愕があり、ハルヒダンスもまた僕の心を完全に掴んだ。

 

「うおーなんじゃこりゃー!おもしれ!続きだ!続きを見せろ!」

 

惜しむべきは、そのとき利用したのがバンダイチャンネルだったということだ。公式チャンネルだと第一話だけが無料で続きを観るためにはお金を払わないといけない。ユーチューブを漁れば無料で拾えたのかもしれなかったが、まだネット事情に疎かった僕にはその発想がなかった。だが今振り返ってみればここでアニメを観なかったことが逆によかった。どうしても続きを知りたかった僕は、後日ハルヒの原作小説を買った。それは僕がお小遣いで初めて買った本だった。それまでゲームとカードを買うことにしか使ってなかった僕にとって大きな変化だった。買ったその足で読んだ原作版ハルヒはまたしても僕に衝撃をもたらした。怒涛の展開、明かされる真実、そしてきれいに収まるフィナーレ、なにより活字がこんなにも面白いのだと初めて気づかされた。小気味の良いテンポ、独特の言い回し、ユニークな比喩。キョンの一人称によって紡がれる物語は、僕を活字の世界に向かわせた。ハルヒを読んでいなければ、今こうやってブログを書いていないだろうと、自信を持っていえる。それだけ多大な影響力をハルヒは持ち合わせていた。

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

 

 

その後僕は原作小説を全て読破して、それだけには飽き足らず他の小説、ライトノベルを貪るように読むようになった。インデックス、キノ、シャナ、とらドラゼロの使い魔、などなど有名どころラノベは片っ端に消費した。同時に深夜アニメにも手を出すようになった。DVDレコーダーに向かって時間指定録画を新聞の番組欄とにらめっこしていた。野球延長はオタクの敵!泉こなたが野球を嫌っていたのには大いに同意できる。当時やってたのは、みなみけクラナドマクロスフロンティアけいおんなどが印象深い。特にクラナドは僕の人生に大きな影響を与えたアニメの一つだ。まさにクラナドは人生。

そう、典型的なオタクに僕は成った。これが成り上がったのか、成り下がったのか、いまだに判断がつかない。もっと現実への還元率の高いものにリソース振りしときゃあよかったと思う反面、物語によって多くのものを得たのも事実でもあるので、諸手を挙げて否定もしがたい。アンビバレントだ。なんであれ僕には孤独癖があるようなので、オタクであろうがなかろうが、ぼっちであることに変わりなかったと思う。そこはオタクであることのせいにしてはいけない。ちゃんと否定しないといけない。趣味嗜好がその人の人格にまで影響を及ぼすって考えはオタク差別をした人間たちと同様の考えである

ただそろそろ孤独にも飽きたから、友達作りのためにこうやってブログ書いている側面もある。ってことでオフ会やりたいっす。友達ほしいっす。

 

・高校時代

高校時代はぼっちも板についてきた頃だった。「その板はついちゃいけない板だろ!」って自らにツッコミを入れるあたり、ボッチ力が高い。ボッチ力を計測するスカウターがあったら計測不能になって壊れるレベルだ。この時代に俺ガイルとか読んでたら、なんだただの俺か、などと休み時間内心吐露する痛いやつになっていたことは確実だ。残念ながら俺ガイルはまだ発売されていない

 

継続してラノベとアニメの消費レースを続行中の高校時代だったが、ゲームの趣味もこのころから変わっていった。ハードがプレーステーション3に移り変わり、バイオハザードコールオブデューティーなどのTPS、FPSにはまっていた。和ゲーから洋ゲーに好みが変わったわけだ。ま、一緒にやる友達はいないんだけどさ。けどモンハンと違ってオンゲーだといつでもいっしょにやる人間がいるからいいよね。名前も知らない相手なんだけど。ゲームはお金を出せば買えるけど、友達は非売品なのよね。みんな友達は大事にしようね、とぼっちは説くよ。

あとこの頃やってて記憶に残ったのはFateかね。かたっぱしから名作を消費してたから、原作版をプレステ2でやってた。ただやってみて分かったのは、僕にノベルゲーは向かないってことだ。ひたすらAボタンを押し続ける作業ってのがなぜか耐え難い。小説のページをめくるのがよくて、ノベルゲーのAボタンを押すのがダメな理由ってのが自分でも明確に示せないんだけど、ゲームってのはマリオ動かして敵を踏みつぶし、銃を振り回して敵を撃ち殺す、アクションものがやってて一番面白いってことに気付き始めたのだろう。

ラノベで言えば、西尾維新にはまったのもこの頃だ。ハルヒで活字に興味を持ったとしたら、西尾作品で活字の凄さに気付いたというところか。僕の中で谷川流西尾維新は僕を活字の世界にいざなった恩師であると言える。ただ読むのはラノベばかりで、あまり知能指数が高いとは言えない。今思うともうちっと頭のよさげなノンフィクションも読んどけよ、と昔の自分に説教くさいことを言ってやりたい気持ちだ。でも学問ってやれって言われてやるようなもんでもないしな。独学こそ最強の勉強方法なわけだし。ただこのときはラノベ作家になりたい、とよくあるワナビーになってたのだから、作家になりたきゃいい大学入っといた方がいいよ、とアドバイスくらいはしただろう。そうすれば、もっと勉強してくれたかもしれない。ま、意味のない仮定なんだけどさ。

映画もまだ集中的に観ているわけではない。ときどきツタヤに家族で借りに行く程度だ。それよりもはまり始めていたのはニコニコ動画だった。前述したとおり、僕の家では土日のみネットが使えたのだが、姉に勧められて見始めたニコ動は僕に新たな衝撃を与えた。コメント付きの動画というだけでなく、そこに投稿された動画はテレビとは一線を画していた。空耳、MAD動画、ゲーム実況、歌ってみた、踊ってみた、玉石混交のカオスの場に、ニコニコ独特の文化があり、僕はネット上の異文化に初めて触れた。誰が打ったかもわからない流れるコメントの中の一つに僕は確かにいた。ネットを使っていてもっとも時間を費やしたサービスはニコニコ動画であると断言できる。僕は完全にニコ厨だった。いまだにランキングは毎日チェックしてしまう。そろそろやめたい習慣なんだけど、中毒なのだから仕方ない。なんか、コメント見てると心が癒されるんだよね。ニコ動はぼっちのオアシス!……って断言しがたいのが困ったところ。特に最近の超会議〇フ〇コ祭りなんぞを見てると思う。ウェーイだけはかんべんな。

コンテンツ消費の面で見れば、結構充実してるかもわからんけど、リアルが充実してるかというとはだはだ疑問っていうのが結論。ていうか、完全に非リアだよね。こういうのが大学時代にまで続くのだから、救いようがない。オタク生活はそれなりに楽しいんだけどね。