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僕とハルヒの思い出

涼宮ハルヒの憂鬱が10周年である。遅ればせながら、謝辞の言葉を送りたい。

natalie.mu

もうアニメ初放映から10年も経つのかと思うと、非常に懐かしい。感慨深いことこの上ない。同時に思い出す。10年前僕はどうやってハルヒに出会ったのかを。

僕が初めてハルヒを目撃したのは、中学生の頃だった。ちょうどネットに触れ始めたとき適当にネットサーフィンしていると、ビッグローブで一話だけ無料視聴したアニメがハルヒだった。そのときの衝撃は忘れもしない。キョンの一人語りプロローグから始まり、ハルヒの初登場に放たれるあの有名すぎるセリフ。怒涛のSOS団の設立からの、ハルヒダンス。それまでもアニメは見ていたつもりだったが、ハルヒはどこか別格だった。

恨むべきか、あるいは感謝すべきか――一話だけ無料視聴であったがために、僕は続きを観ることがかなわなかった。これほどまで引き込まれるアニメに出会ったことがなかった僕にとって、それは拷問に等しい行為だった。

 

続きを。早く続きを見せろ。

 

個人的に面白い物語の定義とは、次の展開が待ち遠しいものだと思う。まさにハルヒは面白い物語だった。当時はようつべが登場した頃合いだったのだから、探せば出てきたのかもしれないが、僕にはまだそれだけのリテラシーがなかった。なので、観たすぐあとに、ゲームしか使い道のなかった小遣いを片手に、近所の文教堂まで出向いたことをよく覚えている。もちろんハルヒの原作を買うためだった。それまでろくに本など読まないゲーム少年だったので、僕が初めて自分の意志で買った本だったといえる。

 

僕と本との出会いだ。

 

原作ハルヒはすごかった。何がすごいかってまずそのキョンの独特の一人称による語りは、国語の教科書以外で小説を読む人間にとって、すごく読みやすかった。そして、アニメで引き込まれた冒頭からあとの話も、最初から最後までずっと目が離せないくらいすごく面白い物語だった。読み終えて、時間が短いと感じた。ゲームをやっていて時間が短いと感じたことは何度もあったが、本を読んで感じたのは初めてだった。生まれて初めて読書体験というものをした気がした。そう、僕は文字を読んだことはあれど、本を読んだことなど一度もなかったのだ。

 

ゲームにしか興味のない少年が、読書にも興味を示す少年へと変化させるだけの力がハルヒにはあった。

国語の教科書を開くのさえ億劫な人間が、活字の魅力に気づくだけの力がハルヒにはあったのだ。

 

あれから10年の時を経て、僕もずいぶんと変化した。本を通じて、様々な物語を味わい、様々な知恵をつけた。曲がりなりにも、当時に比べて成長することができたと思う。けど、僕が成長することができたのは、元をたどればハルヒのおかげなのだ。ハルヒのおかげで、僕は読書の喜びを知り、活字の魅力に気づき、今こうして文章を書くことができている。

 

『世界を大いに語るためのしんれーのブログ』という名前は当然ハルヒから持ってきている。

世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。略してSOS団。

ハルヒは少なくても僕の世界を盛り上げてくれた。だから、ハルヒなどには到底敵わないだろうが、ハルヒによって盛り上げられた数ある人間の一人として、この世界を盛り上げていきたい。

 

 アニメ版しか見ていない人は、ぜひとも原作を読むべきである。ハルヒワールドの大きな魅力の一つはキョンの一人称にあるからだ。映像では表現できない面白さがそこにある。活字に括目すべし。

 

 アニメ版の先の話である分裂編まで読みたい、けど時間がないし、文字読むのもたるい、といった方には漫画版でもいいかもしれない。ストーリーを追うだけなら問題ないだろう。ただし魅力が半減することは言うまでもない。やはり原作が至高。