「この世界の片隅に」感想。優しきこともなき世を優しくするために

この世界の片隅に」を見てきた。大変面白い。2016年の映画は豊作であったが、ここにきてダークホースが現れた。

個人的に、この映画を一言で言うと、日常系の萌えキャラが、僕たちの住む厳しい世界に連れてこられて、キャラから人へと昇華されるまでの物語であると捉えている。

以下感想。

この映画の主人公のすずさんは絵を描くことが好きなふわふわぼーっとした、いわゆるドジっ娘というやつだ。アニメの世界にでもいれば、いい具合の萌えキャラにでもなっていただろうし、この映画の前半においては完全に萌えキャラだ。映画館で、ありゃー、というすずさんのまいった顔を見てて、僕もつられて笑顔が溢れていた。

ただし、ドジっ娘というやつは現実世界にいれば、ただの役立たずである。アニメの中ならともかく、現実の世界は要領の悪い奴には生きにくい。すずさんが仮に僕たちの住む世界にいれば、社会人になって絶対に苦労するだろうことが容易に想像がつく。ましてや戦時中なら……。

だが、僕たちの想像をすずさんは上回る。苦労はすれども、悲観はせず、すずさんはその持ち前のほんわかとした性格を保ちながら、僕たちの住む世界よりも、はるかに厳しい世界を立派に生き延びる。配給がなくなっても、野草を摘み、「今日はどんな作ろうかしら?」とまな板をバイオリンを弾くかのように楽しげに料理する。そこには貧困はなく、ただ生活感あふれる日常だけがある。心までは貧しさを失っていない。人間の精神的自由は誰も奪うことはできない、とかなんとか夜と霧の作者であるヴィクトール・フランクルが言っていた気がするが、まさにその通りだ。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

しかし、それが本当だとしても、僕たちは落ち着いてはいられない。どんなことがあっても、平気だなんて絶対に言えない。悲しいことは悲しいし、辛いことは辛い。そこを偽ることなんてできないからだ。それはすずさんも同じだ。すずさんもまた僕たちと同じように普通に笑い、普通に怒り、普通に泣く、普通の人間なのだ。僕たちが見ているのはフィクションかもしれないけど、そこにいるのはただの萌えキャラなんかじゃなくて、一人の人間である。

言葉にするのもためらわれる悲劇に会い、この世界の片隅にある幸せな場所を奪われ、『ずーっとほんわか、ポワーっと笑っている子でいたかったよ!』と泣き叫ぶシーンなどは、涙なしでは見ることができない。その時、僕たちはキャラが、人に昇華される姿を目撃している。そこにあるのは空想の世界で、実際にいる人間が涙する姿だ。”すずさんはここにいる”からこそ、僕たちは共感する。

そしてすずさんの人生はそこで終わりはしない。悲劇に会おうとも、物語が終わろうとも、彼女の人生は続く。この厳しい世界を生きなければならない。その時に必要なのは、高尚なプロパガンダなんかじゃなくて、きっとすずさんがこれまで実践してきた、家族とみんなで笑ってご飯を食べるという当たり前の生活なのだろう。それだけが、この優しきこともなき世を優しくするための、たった一つの冴えたやり方なのだろう。

もしすずさんがあれからずっと生き延びていたとしたら、90歳を超えたおばあさんになっている。きっとそれまでの人生に幾度となく苦労があったに違いない。けれども、すずさんはそんなことには負けず、普通に笑って、普通に怒って、普通に泣いて、この世界の片隅で普通の生活を送っているに違いない。

そんなことを僕は妄想してしまうのだ。

劇場版見終わった後、すぐ買って漫画も読みました。こっちも面白い。みんなも読もう。