読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブログというキャンパスに思考の垂れ流しをする

個人的にツイッターに色々書くっていう行為はしていないくて、せいぜいニュースに対して一言コメントくらいだ。

この一言コメントっていうやつが僕はあまりやりたくないんだよな。

なぜかっていうとそれだけのスペースしかないと、まさしく一言メモみたいなもので言いたいことが必然限られてくる。やろうと思えばツイッターに連投という形で、長文を投稿することだってできるんだろうけど、そうすると、140字ごとに区切られてしまうので、ここにも制限ができてしまう。こう言った制限があると、思考の言語化までも制限されてしまう気がしてしまうのは、僕だけだろうか。

 

何だか脳みそが小さくなっていく気がしてならないのだ。

 

ツイッターだけでなく、世の中の消費するコンテンツ全体が、一つ単位あたりの消費時間が短くなっている気がする。ゲームでいえばアプリゲーのように片手間でできるものだし、アニメや漫画なら5分アニメや4コマ漫画が挙げられる。僕はこう言った一瞬で楽しめる対しては、楽で楽しいなっと思う反面、何か大事なものを本当の楽しみや喜びをなくしているような気がする。これらのものをやっていると脳みそが小さくなっていく要因になっていると勝手に妄想している。

僕が最も脳みそを拡張させてくれるものだと思っているのはSF小説だ。SFはかなり冗長だが、冗長だからこそ、偉大な作家たちが想像した未知の世界感を脳みそで体感することができる。これはどんなコンテンツにもできないことだろう。SF談義についてはいずれまた。

脳みそが小さくなるコンテンツにはニュースにも当てはまっていると思っている。ニュースであれば、多少は冗長性を含んでいると思われがちだが、人々の注目を集める、ということに特化したものが、この広大なネットにははびこっているわけで、それが炎上であり、welqである。こう考えていくと、ネットもどうしようもないので、頭いいやつはきっとまともに見ていないのだと思う。

もうネットはコミュニケーションだけの道具だと見て、商売をするだけのものと見て、情報収集はnewspickと本と後、直接信用できる人と会うっていう方法を使っているのが頭いいやつなのだろう。ウェブはバカと暇人のものとはよく言ったものだ。まさしくその通りではないか。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

 

 ただそうはいっても、僕は人のブログを読むのが好きだ。暇人だと言われても好きだ。特に自分の伝えたいことを何千何万字の言葉を尽くして、一つのページに書き込んでいく長文ブログが好きだ。

やはり本当に伝えたいことっていうのは、数千数万文字単位のテキスト量でないと語れないと思うのだ。言語っていうのは、人類が開発した最も画期的なものであると思うけど、思考の言語化にも限界があって、何かを伝えたとしても、その情報には多分な漏れがある。ほら、ハルヒ長門だって、「うまく言語化できない。情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」って言っている。だが、うまく言語化できないことを承知の上で、だからこそ、言葉を尽くすってことは大切なことだと思うのだ。

そんな本当に伝えたいこと言葉を尽くして書き込もうとしているブロガーたちが僕は好きだ。ファンになってなんども読んでしまう。

 

???「なら本を読んだ方がいいじゃねえの。めっちゃ言葉尽くして何十万字も書き込まれててお前好みでは?」

 

うん、その指摘はごもっともだ。僕は本も好きで、よく読む。けど、個人ブログ、特に何万字も一つの記事に書き込みんでいる人っていうのは、言って見れば市井の賢者のようなもので、そんな市井の賢者の声を僕はもっと聞きたいと思っているからブログを読む(何十万字もある本を読むのがだるくて逃げてるっていうのも結構あるのだが、読書は楽しいけど頭が疲れるのだよ。脳みそが小さくなっていくのをひしひしと感じているよ)。忘れがちだがテキストを書くっていう行為は、かなり文化的な行為だ。日本の優秀な教育制度(アメリカではまともな小学校がなくなり、読み書きができない人がかなりいる)によって、日本人は平均的な学力を担保されているからこそ、みんな文章を書くことができる。それはツイッターがこれほど流行っていることからも明らかだろう。そしてツイッターでは満足できない活字野郎がブログに参入する。これが面白くないわけがないだろう(๑・﹃ ・๑)ジュルリ。市井の賢者のお言葉は当たり外れはあるがどれも結構おいしい。個人営業の穴場的外食屋みたいなものだ。

対してようつべという動画プラットフォームもあるが、難しい概念を伝えることができないのでメディアとしてはダメダメだ。ていうかようつべを見ている連中なんていうのは、バカばかりなのだから、そんな連中向けに作られている人気の動画っていうのは、すこぶる頭が悪い。よくあんな広告だらけのものを見ることができるものだ。ネットもまたテレビ的なものの勢力に侵略されている。テレビは見てはいけない。よってようつべも見てはいけない。動画勢とは仲良くしたいとは思わないね。

テレビは見てはいけない (PHP新書)

テレビは見てはいけない (PHP新書)

 

 テキスト書く連中っていうのは、僕も含めて表舞台に出ることが苦手なやつだと勝手に想像する(まあ、動画撮るのが面倒っていうのも大いにあるだろうが。テキストって本当に楽だよね)そういう人にはどうしても共感してしまうし、友達になりたい思ってしまう。

それは僕が書くことによっても、起こり得る。僕が書いたテキストを誰かが読むことによって、僕に対して好意を抱くということも大いにあり得る。何か仲間を作りたいと思ったら、まずあなたが情報発信をしなさいっていうのをどこかの本で読んだことがある。きっとその通りなのだろう。

 

そんなわけで思考の垂れ流しを、ブログというキャンパスに思考を書き留めるのでしたとさ。ちゃんちゃん。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 ???「お前の思考はまったくエッセンシャルじゃないんだがwww」

冗長性こそが人を真の意味で幸福にするのだ。ってことにしておけ。……まとめるのが面倒なだけなんだけどさ。