言葉数の少ない人は、ラフ画を描くつもりで、普段の10倍書くといいのかもしれない

僕はあまり喋らないし、あまり書きたいこともない人間なのだろう。仮に書きたいことがあれば、伝えたいことがあれば、もっと書いているだろう。

あるいは、そもそも書きたいという欲求を抑えてきた節があるかもしれない。というのは、生まれてこのかたあまり生きててよかった、といった経験をしたことがないもので、なのでいっそ生まれていない状態になりたいという欲求が僕の中にある。そうすれば収支の面ではゼロになるので、マイナスになることもない。人生マイナスばかりの僕からすれば、これはお得だ。だが実際、これはうまくいくことはない。できるだけ何も考えずに、何も考えずに、生きていない状態にしようとしても、心臓は動いているし呼吸も止まらない。僕は嫌でも生きることになる。

となれば、生きていてよかった、という思いを積み重ね、幸福度の収支表をプラスにしていくようにするのが最善といえる。

ならばどうやってプラスにしていくか。それは承認欲求を満たすことである。承認欲求を満たすためにはどうすればいいか。僕はここにいるんだと主張することだ。

しかしながら、それはいかにも僕にとって苦手な行為だ。だって僕が得意としてきたのは、自分はここにいないという設定にすることだったからだ。

教室にいるときはそれは難しかった。だから教室は嫌いだった。真っ暗な部屋で一人でいるときは簡単だった。だから部屋は好きだった。その空間において、擬似的にだが、何も考えず、何も感じないように、意識を消すことができたからだ。そして何より眠るときは至福の時間と言えた。僕の中にあるかろうじで残った根源的な欲求を満たし、なおかつ、意識を完全に消すことができた。存在していない状態にすることができた。幸福の収支をゼロにすることができた。しかし実際、それは一時的なもの。浅目が覚めれば、途端に現実に引き戻される。それに悪夢を見ることも少なくはない。眠ることもまた、僕に安寧をもたらすことはない。

ならば、だ。ならばセルフキルをするべきなのではないか。だってそうだろ。本当の意味で、意識を消すためには、セルフキルをするほかない。だがそんな勇気はない。意識を消すのはいいけど、セルフキルするのは怖い。

今までやってきた意識を消す行為が無駄だと分かった以上、この意識で、この体で、生を全うし、僕はここにいるのだと、この世界に示す必要がある。だがどうやって。そのためのブログだ。僕の言葉を紡ぎ、僕の言葉をネットという大海に残す。僕はここにいるんだと、叫ぶ。

と、こういった形で、多少無理矢理書くことによって、伝えたいことがだんだんと輪郭を持って現れてくるのではないか、という試みで書いている。

頭の回転が速い人の話し方: ビンワード電子増補版

頭の回転が速い人の話し方: ビンワード電子増補版

 

普段喋らない人は、その普段喋ってる量の10倍多く喋るようにすれば、だんだんと言いたいことがわかるよ、みたいなことを岡田斗司夫の著書に書いてあった気がする。今回はその言葉に従って、10倍多く書いてみようかな、と。

で、1300字、と右下の文字カウントに書かれている。ツイッターに一言、僕はここにいるんだ。という言葉を10倍にした結果がこれだ。

これは全人類に共通した欲望だ。この欲望を起点として、僕たちは言葉を紡ぐ。それが喜怒哀楽という感情であれ、論理で紡がれた意見であれ、本質は「ここにいる!!」だ。

僕もまた、その欲望に突き動かされ、遺伝子の声に従うまま、ミームを拡散させる情報生命体の一個体でしかない。

しかし、それでもちっぽけな存在なのだとしても、僕は僕でしかない僕の状態で、幸福になりたいだろうし、生きている以上は、生きててよかったと思いたいだろう。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>