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ネットでミッキーマウスの着ぐるみを着よう。現代における生存戦略とは

かつて人は繁殖するために目立とうとした

分かりやすいものが、情動に訴えかけるものが、その人の魅力になる。大昔において、それは音楽でありダンスだった。そして今最も人を惹きつける存在とは、ユーチューバーだったりゲーム実況者と言えるだろう。彼らは商品だったりゲームだったりを肴にして楽しそうに笑い、消費者を面白おかしくしてくれる。なぜ我々は彼らを楽しむのかといえば、それが遺伝子に根ざしたものだからだ。

誰かが楽しみ笑っている姿を見ているだけで、共感能力が働いて、快楽物質が出るようになる。そんな快楽物質を出すための、トリガーとなっている人気者は、誰もが注目し、賞賛を浴びせ、ことによって金までを払うことになる。それが搾取されるゴミだとも気付かず。

 

人気者のファンはみんなゴミになっているということに気づかない

僕がよく思うのは、タレントのファンたちは自分がゴミになっているということに自覚がないのかということだ。ゴミというのは、天空の城ラピュタムスカが言ったように、あまりにたくさん群がって右往左往しているからゴミだという意味だ。僕がそう思っているわけじゃない。ファンのあなた方が崇拝しているタレントこそが、あなた方がゴミに見えているという話だ。

どいつもこいつもどいつもこいつも、自分のことが大好き、愛している、なんてことを聞いていたら、自分のファンなどどうとでもできるゴミに見えるのは当然のことだ。

そんな社会的地位について金もある人間をさらに肥えさせるんじゃなくて、そんな貢ぐ金があるならば、もっと恵まれない人間に募金する方が、よっぽど効率的に人類の幸福度が上がるだろう。

欲にまみたバカが、欲にまみれたクズに増長させるという光景を目の当たりにしていると、ほとほと人間というやつに絶望してしまう。

 

時間というもっとも大切なものをドブに捨てるな

ネットの台頭によって生まれたものとして盛る文化が挙げられるだろう。つまりリア充アピールというやつ。自分が楽しいかというよりも、自分が楽しそうな雰囲気を切り取り、発信することで、人々の注目を得るという現象だ。さながらミッキーマウスの着ぐるみを着ているかのように、ハハと笑って、道化師になりみんなを笑わせて笑わせて、金と人気と地位を得る。

ユーチューバーや実況者がそれらを得ることができたのは、人を注目させる装置を自分から切り離して、広大なネットという大会に泳がせることによって、自動的に自分たちに注目と金という希少価値のあるものを、手元に入るようにしたからだ。

忘れがちかもしれないが、金だけでなく注目も価値のあるものだ。無料で動画が見れるからといって、あなたは時間というもっとも大切なものを失っていることを忘れてはならない。あなたがもっと注目するべきなのはあなたの近くにいて大切な、家族や友人や恋人だということを忘れてはならない。

 

ならば我々がミッキーマウスになろう。あざとさ力を鍛えるのだ

しかしファンではなく、タレントやカリスマになるというのなら、ネットほど便利なものはない。動画やテキスト、自分の創作物を見てもらう場はいくらでもあり、消費を全くしない貧乏人は、ネットのコンテンツをより見るようになるだろう。馬鹿にでもわかる着ぐるみを着て、馬鹿みたいに振る舞えば、馬鹿どもが寄ってくる。そうすれば100人に一人くらいは金を貢ぐようになる。

だから盛る文化であるネットを最大限利用して、盛って盛って盛って、笑って笑って笑って、共感共感共感させて馬鹿ども判断力を奪った上で、消費を促せば、うまいこと貢がせることができる。

あざとさで攻めて攻めて攻めまくるのだ。ハハ、ぼくミッキー。

あなたはキャラクターだ。あざとさに特化したキャラクターだ。可愛くカッコよく媚びても、大衆は気にしない、きゃーかわいいかっこいい抱かれたい、と脳死状態になってあなたを賞賛する。馬鹿にろくな判断能力など備わってなどいない。

しかし1億総ミッキーマウス社会、とはいかない。誰もが皆タレントになることはできない。生産と消費は、非対称でなければならない。上位20パーセントのカリスマとファンしか、この世界に入らない。だから成り上がろう。ミッキーマウスになろう。

そして金と人気と地位を得て、そして繁殖をしよう。

 

それこそが現代における生存戦略である。