日記

なんか適当に書いてくか。ベッドに横になって書いてる。ま、多分読み手の君たちもベッドに大抵横になってアイフォンでみているだろうから、どっちもどっちだろう。きちっとしてパソコンの画面で見ている人がいたら先にすまんと言っておきたい。

確か化物語に出てくる忍野メメが、ケータイ苦手って言ってた理由に、電話している相手が、会話しているのにベッドで横になって、不真面目な姿勢を取っていそうで嫌だ、みたいなこと言ってた。意外に繊細なんだなと、ありゃりゃぎさん(失礼、噛みました)は評してたけど、僕も大して気にしない派だな。

そこらへんはデジタルネイチィブとの違うと言えるだろう。それと西尾維新はネットをやらないって言ってたし、まあ作家なら資料集めくらいにしか使わないくらいがいいだろう。作家なんてのは物語を作るためだけの装置なわけだから、SNSをやってファンとの交流!!なんてことをやっている連中は職人とは言えない。

インデックスの作者もツイッターやっとらんし、閾値を超えた作家はただ作品を作ることに集中している。ツイッターに夢中になっている作家がいれば、売れていないから、あるいは要領がいいかのどっちかだろう。僕は作家は作品だけに集中して、より良いものを作って欲しい派の人間かな。ま、ツイッターの発言に注視してしまう僕もいるのだけれど。

 

ところで、最近はプログラミングの勉強をやっている。やっているのだけれど、はかどっているかというと、そうでもない。教室の通ったけど途中で鬱が発生して、あまりやらなかった。そして今はネットにあるコンテンツを使って勉強している。そろそろ就職のことを考えないといけないのだが、その仕事で使える実力がついているとは言えないので、少し困っているところだ。カリスマプログラマーになっていると、アフォメーションしつつやっているが、どうなることか。大事なのはなっているという状態に臨場感を抱くこと。これは忘れてはならぬ。なっているなっている。

 

 

勉強するべき時間に、ブログを書いているのは単に気晴らしだ。人気ブロガーになれば結構な金と地位を手に入れられるのだろうけど(つっても上限が数千万規模だから、動画勢の数億規模に比べらたら市場の桁が違っていて、あまり夢がないなあとも思うが)、僕はあまり他人の承認を必要としない人間で、さあ才能に目覚めようでも内省が一番に出て、さもありなんと思った次第だ。

 

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

 

 

しかし、話は変わるがクラシック音楽は非常にいいものだ。今書いている最中にも音楽が流れていて、心が癒されている。前は鬱で死にたいと思っていたこともあったが、クラシック音楽を聴き始めてあまり思うことも少なくなった。ここ1年くらいでハマったにわかだし、作曲家も曲名もろくに覚えちゃいないけど、だからこそ純粋に音楽を楽しめるとも言えるだろう。

特に好きでも嫌いでもない作曲家などに興味はなくて、ただ音楽を作るための装置だとしか思っていないからこそ、なんのバイアスもなく音楽を楽しむことができる。

モーツァルトやベートーベンなんかが、ツイッターをやっていたら、作曲家が好きかどうかで、曲の良し悪しを決めてしまうことになる。それは作り手にとっても受け手にとっても不幸なことだろう。

例えばこんなのとかさ。

モーツァルト「猫キャワワ」

ベートーベン「さすがに草生えるwww」

地獄だ。そんなの知らねえっつの。

何度も言うけど、クリエーターは作ってなんぼの人種だ。僕は人の作り出した創作物は愛しているが、人には興味がない。人なんていう不純物だらけのものをなぜ好きになるのか。ろ過して美味しくなった創作物の方を僕は食べたい。だからクリエーターが創作物に介入して、不純物を混入させるなんてことはあってはならない。

だから本のサイン会っていうは本当にわからない。作家にあって何が楽しいのだろうか。本は本で楽しむべきだし、作家に会ったりサインをもらたって何も楽しくないし、本が不味くなるだけだと思うのだがね。

そういう意味でも、クラシック音楽は、不純物なく食べられて、毎日が楽しいよ、っていう話だ。

 

 

以上。さて勉強すっか。