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2050年の衝撃の未来予想の感想。やはり好きなことをするのが一番くせえ

 

2050年 衝撃の未来予想

2050年 衝撃の未来予想

 

 読んだ。面白かった。完。だと味気ないから感想をつらつら。

 

未来予想本はやはり人気のあるジャンルで結構それ系の本は多く出ている。それってなんでかっていうと、やはり未来の情報がわかっている人間が儲かるってことだからだろうな。

バックトゥザヒューチャーでも、競馬レポートでビフが大儲けしてたしね。いや、あれは予想というか、過去に実際に起きたことなんだけどさ。儲けたって言っても、ギャンブルなんだけどさ。

 

例えば、馬車が走っていた時代に、蒸気機関車が出てくることを知っていたら、当時の人は馬に乗ることを仕事にしなかっただろう。

そして現在の蒸気機関車に当たるの人工知能なわけだ。今話題になってるよね、人工知能が仕事を奪う!!!だから好きなことを仕事にするんだ!!!ってなことさ。でも実際、みんなためらうじゃん。

そうはいっても食うために、会社に従属しなければいけないじゃんってさ。僕もどっちかっていうと、会社に従属するべきでは?という懐疑的な側の人間だ。でも、この本を読むと、やはり好きなことをするべきなんだな、と納得する。

 

以下要約アンド面白かったところの感想

 

なんで2050年?20年じゃあかんの?

例えば自動運転技術が今話題になっている。だけど、その開発自体はすでに1980年代に完了していて、開発者からしてみれば周回遅れの話だ。「自動運転こそ未来の社会だ」って騒がれてるけど、そんなもん未来じゃねーよ、自動運転技術の特許が切れてメーカーが実用化に向けたコスト削減競争してるだけだ。

言い換えると、仮に1年後の株価を知って儲けても、それは資本家が描いた絵に乗って儲けさせてもらってるだけ。同じ未来予想に乗せられた投資家は食い物にされる。同様に、5年後生き残る職業を知ってスキルを磨いても、その職業自体が奴隷的労働に従事させるために生み出された職業である可能性が高い。

だから、未来を知って、より良い未来を変えたいと思ったら、5年後10年後の予想は意味がなく、少なくとも今開発中の技術が切れる20年先、さらに、その技術が一般化して、社会に変化をもたらす30年先、40年先まで予想する必要があるってこと。だから2050年。

で、現在、人々が常識として疑わない考え方は、世界の支配者たちによって刷り込まれた抑圧された思考で、このまま変わらなければ、悲惨は歴史が繰り返されてしまう。だけど30年先、40年先ならば、世界の権力者も把握しきれていない未来だ。そこに向かってマインドを変化させていくことが、権力者たちさえも縛るバイオパワー(人間を抑圧する生権力)の呪縛から脱し、人間らしく生きるための唯一の方法である。

 

ってなことがはじめに書いてある。

 

ま、この辺の、「権力者の洗脳から人々を解放して、真の自由と幸福を手にしよう」っていうテーマは、苫米地氏の著作で一貫されていて、苫米地氏の戦争と飢餓のない世界を作るっていうゴール達成ための活動なんだろう。

 

高齢社会ではどうなるか?

2050年には平均寿命が120歳だ。「60代、70代は働き盛り」「90代でも若造」の時代になっている。いやはや想像すると凄まじい世界ではある。30年ごというと僕は50代になっているが、それでも若造より30歳若いときたもんだ。50代の赤ちゃんかな、バブー。

んで、苫米地氏はここで、活躍するために、高齢者とのコミュ力鍛えておけってなことをアドバイスしている。まあ妥当だ。コミュを円滑にするために必要なことは、「社会性の高さの有無」だってことだ。煩悩を満たしてきたその時代に長年社会で活躍してきた老人にとっては、利己的な欲望を超えて社会に役立つかどうかが関心ごとで行動原理になって胃いるからだ。まあ、こちらも妥当だ。

平均寿命が120歳って言ってもいいことだけじゃなくて問題もある。みんな嫌いな年金問題だ。まあ、物理的に老人が増えて、若者が減るんだから、そりゃあ破綻するに決まっている罠。で、そのための対策っていうのは政府が出す「一億総活躍社会」って奴だ。「総活躍」っていうとなんだか戦隊ヒーローの歴代戦士が全員出てくる映画みたいな感じだけど、要は「男も女も老人も、1日でもしっかり働けや」っていう政府のお達しってこと。「総活躍」という名の「奴隷社会」ってこと。ファック。

 

金融資本家が99・999パーセントを支配する

しかし、高齢化社会よりもやべーことがある。それは企業が仮想通貨を発行することだ。国家の概念が喪失し、仮想通貨がメインになっている社会は、「超格差社会」だ。経済がサイバー空間に移行するとなぜ格差が拡大するか?サイバー空間の中で経済を動かしている人々は、事実上、限界費用がかからない。広告で儲ける、情報で儲ける、投資で儲ける、など限界費用がかからないため、無限に生産性をあげることができる。

桁違いの資産家が大量に生み出される一方で、依然として限界費用に縛られた物理的労働を強いられている大多数の工場でロボットの管理や整備に携わる人々は相対的に貧困へ追いやられることになる。

その情報空間の通貨で無限の富を得ようとする金融資本主義は、今後民主主義を破壊することになる。だって無限にある情報空間の金で政治家を買収すればいいのだから。

そうやって自分たちに都合のいいルールに作り変えて、さらに貧困者を搾取しようとする。それがTPP。詳しくはこの本を読めばいい。

 

虚経済が支配する世界

金融資本に取り込まれ、奴隷や囚人扱いされている大多数の人々が、自身の惨めな境遇に気づいていない。

例えば年収1000万円が「勝ち組」と呼ばれ、年収300万円が「負け組」と呼ばれる。しかし金融資本家の代表格である、ウォールストリートの平均年収は「650億」で、彼らからすれば、どちらも等しく奴隷的労働者でしかない。その事実に向けさせないように、金融資本家はメディアを利用して、「勝ち組」「負け組」という社会の階層化をする。ようは奴隷が自分をつないでいる鎖を自慢させ合っていること。不満や憎しみを奴隷同士に向けさせて、金融資本家は悠々自適な生活をするってこと。ファック。

しかし年収300万円もあれば、一人で生活していくのに十分だ。なぜ人は年収1000万円を目指していくのか?それは虚ニーズを人生において価値のあるものだと刷り込まれているからだ。

CMや広告は、人間性に溢れる豊かな暮らしとは直結しない嗜好品や贅沢品を価値のあるものだと宣伝する。必要のないお金を稼ぐために必死になって奴隷をように稼着、奴らの奴隷的労働によって生産された商品やサービスは、さらなる虚ニーズを生み出す。こうして社会には本来必要のない商品やサービスが溢れ、それを得るためのお金が市場価値となる「虚経済」が形成されていく。

これは虚経済を築くことで金貸しとして成り上がってきた金融資本家が、自分たちの支配を磐石にするために仕掛けた「洗脳」である。

 

やりたいことをやるべき理由

日本では「やりたくないことを我慢するからお金がもらえる」「やりたくないことでも自分がやらないと会社と社会も回らない」という、とんでもない誤解がまかり通っている。まさに奴隷の考え方だ(俺が言ってるんじゃないぜ?苫米地氏の意見だ)

そもそも職業とは、お金を稼ぐことが本質ではない。職業の本質的な定義とは、「社会に機能を提供すること」である。賃金は、結果としての対価でしかない。「職業に貴賎なし」という言葉は、「社会に必要とされている機能を提供する」という点で平等だからだ。

お金を稼ぐためにいやなことを我慢して長時間働くという行為は、奴隷同士のチキンレース以外の何物でもない。このチキンレースから抜け出すには、職業とお金を切り離して考えるという革命を頭の中に起こすしかない。

生活保護社会保障制度が批判されているが、成熟した国家としては当然の制度であ流。それよりも批判されるべきな職業イコール稼ぐことという手間が広がるあまり、社会に機能を提供すること自体を放棄する人間を生み出しているということだ。

釈迦は「自分を含めて、この世の全ては他の何かとの関係性で成り立っている」と悟りを開いた。つまり世界は縁起で成り立っている。この縁起を捨てた人間は世界から見放された孤独な存在だ。金融資本主義の行き着く先は、絶対的な孤独であり、人間としての存在意義の消滅だ。これは経済の本来の意味である「経世済民=世をおさめて、民をすくう」とは正反対の結末である。

 

さらに人工知能によって仕事がなくなることが挙げられる。

人工知能があれば、銀行でさえ無人化が可能になり、一般企業の総務、経理などのデスクワークはほとんど人工知能で代替できる。それはシステムエンジニアも同じだ。将来的には、エンジニアは仕様書を書いて、クライアントと交渉するだけの仕事になる。工場のライン作業に代表される単純肉体労働も、人工知能搭載のロボットで真っ先に代替されることになる。さらには公務員も弁護士も官僚も政治家も、総理大臣でさえ人工知能に替えられる、一つの国が一つの巨大な人工知能網で成り立つ世界が訪れる。

 

いやはやここまでくると、SF小説じみてくるんだが、しかし苫米地氏は人工知能研究で博士号を持っている専門家だ。信じるに値するだろう。

 

こういったことを指摘すると「人工知能を過大評価している」「そんなに多くの仕事が人工知能に奪われたら社会が崩壊する」という意見がある。つーか俺がそう。しかし、苫米地氏がいうのは、「人工知能でなくなる仕事」という時代が誤りで、「社会にとって必要のない仕事」だったというだけだ。

本来「いらない仕事」に人々が従事しているのは、単純にコストの問題に過ぎない。労働者を雇うコストと人工知能を導入するコストを比較した時、現時点で労働者を雇う方がコストが安いから雇用という選択をしているだけだ。現時点では途上国の労働者と先進国の労働者の間での争いが、2050年には人間と人工知能の争いに置き換わる。

この場合人間に残された選択肢は2つしかない。生産性を劇的に向上させるか、人工知能よりも安価な労働者として貧困層へと転落していくかだ。

では生産性を上げるためには何をするべきか。資格を取るかITツールを駆使して作業効率を上げるか。どれも違う。スキルアップや作業効率は人工知能の一番得意とする分野だ。つまり一般に生産性を上げるために行うべきとされている努力は、ほとんどが方向性を間違っている。

人間にしかできない生産性、それは効率化や最適化だけではたどり着けない、全く新しい何かを創造したり表現したりすることだ。

しかし「新しいものを生み出す」と言われても実際に何をすればいいのだろうか?画期的な商品やサービスを開発するか? ミュージシャンになるか? 小説家になるか? そもそもクリエーターにならないとダメなのか?

例えば銀行は無人化するが、人工知能搭載の若いロボットよりも年季の入ったおじさんの方が信頼できるというニーズはんコル。教師が人工知能に起き買っても、人間の家庭教師をつけたいというニーズは相対的に伸びる。

つまり、デジタル社会、サイバー社会となった2050年では、アナログである事自体が価値として成り立っている可能性が高い。そして「アナログ=人間らしさ」であり、「人間=自我」である。クリエーターではなくとも、やりたい事を続け、その世界で唯一無二の自我を発揮できれば、そこにニーズが生まれ、価値が生まれる。

だから、これからの時代の「付加価値」とは、決して世間のいうようなデジタルなスキルや狭い専門性ではない。人間が長い歴史の中で培ってきたリベラルアーツを学び、広く深く人間性をみにつけること。その上で、やりたい事をやり、社会のニーズにかなった機能を提供できる人間になる事が重要なのである。

付加価値のある人間になる事。さらに付加価値の意味と方向性を誤らないこと。お金を稼ぐことが職業とは考えず、好きなことに生きること。

今の世の中に即した生き方では、2050年に尊厳のある一人の人間として生きることはできない。未来において目を開いていられるのは、時代の流れとニーズを読み取り、いち早く価値観と生き方を転換させた人間だけだ。

 

ようつべマン最強くさくねえかァ!?

あ、これは僕の意見ね。苫米地氏がいきなりようつべマン絶賛したわけじゃない。

うーん、こういうの読むと、ようつべマンたちの「好きなことで生きていこう」といううたい文句が、いよいよ未来の生き方で、幸福な生き方なんじゃないかと、信じ始めている。ヒカキンやはじめしゃちょーが今一番最高に幸福な奴らなんじゃないか。実際連中幸せそうだもんなぁ。めっちゃ儲けてるし。

あるいはテキスト界隈だと、プロブロガーか。自由な生き方を教えます!!みたいなことやってるもんなあ連中。会社員や公務員になる方にリソースを振るんじゃなくて、そっちのプロブロガー養成講座みたいなのに入って、本格的にブログを書くってことも結構ありなんじゃないかと、今の僕は思っている。

しかしどうなんだろう。やはりその場合も、書くことが好きってことが重要なんだろう。あの界隈は、なんか好きでやってるってより儲かるからやってるって感じであまり好きじゃねーんだよな。まあ金で釣るのが一番効率的なんだろうけどさ。書くことが好きなら習う前に、とっくに書き始めてる気がするんだよなあ。よってブログ講座いらなくねえか。いや、そんなこと言ったら世の中全ての習い事がだいたいそうか。

 

おわりに

翻って、僕の場合はどうすればいいんだろうね。プロブロガーに俺はなる!!!ドン

っていう感じではないんだけど、僕も本格的にブログ界隈に参戦しようとは思っている。書くことは好きってことでいいんだと思う……多分。小説書いてたし。ただ、いいもの書きたいって欲が出ちゃって、書き始められないっていう、典型的なあれを発症している。

プログラミングも好きかはまだよくわからん。今の所コードをひたすら、模写して、これこれこういうコードはこうなるみたいなことをやっている。やっていること自体は、完全に作業だ。模写するだけなら、それこそ人工知能にやらせておけばいい。つーかシステムエンジニアの仕事が人工知能に乗っ取られるって言ってんだから、プログラマーも安泰の職というわけではい。ただコードを書くことそれ自体が好きなことで、新しいものを作りたいという「自我」があれば、「欲望」があれば、僕にもできるだろう。

 

あと、僕はアニメや映画や、ネットサーフィンして動画やらニュース見るのが好きなんだが、これをやってても儲かりそうにないぞ?儲かることじゃなくて、好きなことやれって言われたけど、さすがに儲からないぞ?だって何も生産してないもん、ただコンテンツ消費してるだけだけだもん。苫米地先生どうなんすか?

ま、これは単に僕の自己評価が低いから、そういう低次元な遊びにはまっているということだ。自己評価が高ければ、自ら何かを生み出したいと思うし、最近は自身がつき始めてきたから、何か書きたいと思っている。

 

文章やコードを書いて、それを好きなことにして、付加価値をもたらしたい。2017年時点ではそんなことを考えております。今のところは好き勝手にブログに書き散らしていく所存。

 

さて、2050年にはどうなっていることやら。好きなことをやって楽しくやっていたいものだ。

 

2050年 衝撃の未来予想

2050年 衝撃の未来予想

 

 

そんな感じ

 

以上