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自転車を盗まれて、夜の道をとぼとぼと歩いて帰ってきた時に考えたこと

さっき起きた。昨日の夜自転車盗まれた(ファック)。近所のレストランで、作業した後、閉店時間になったので、会計済まして、外に出たら、自転車がなくなっていたのだ。

 

理由はわかった。鍵をかけ忘れていたのだ。かけなかった理由はなんとなくだった。なんとなくかけなくて大丈夫かな、となんとなく思って、なんとなくかけなかった。ほんのちょっと数秒もかからない手間なのに、その手間を怠けた結果がこのザマだった。さらに追い打ちをかけたのは、その駐輪場には盗まれるのが頻発してるから、ちゃんと鍵をかけてくださいね、盗まれても当店は責任を負いませんと、と書かれた看板が置かれていた。完全に僕の過失だった。

しかしそれでも、盗んだ方が悪いではないか。当たり前だ。加害者が悪いに決まっている。責任の度合いでいえばこちらが、1:9で比率で、あちらの方が圧倒的に悪い。そうやって相手を恨み怒りを持つことは簡単だ。

 

しかし、どうなのだろう。こうやって怒りを抱くことがそれほど、自分の得になるとは思えない。ここは、もっと想像力を働かせるべきなのではないか。

 

例えば盗んだ人間は金に困って、自転車も買えない貧乏人だったかもしれない。僕がやったのは、自転車を盗まれたのではなく、自転車を寄付したのだと、考えればそんなに悪くはなかったのではないだろうか。

 

あるいは、これを教訓にすればいい。つまり油断大敵ってやつだ。幸福な人生を歩みたければ、できるだけ、損得の収支をプラスにするように立ち回る必要がある。

 

いわゆるリスクマネジメント。

 

今回の件に関しては、鍵をかけないことに得られるちょっとしたメリットと、盗まれるリスク、どちらの方が得ですか?という話だ。そんなものかけた方がいいに決まっている。それをやらなかったのは、僕が完全に思考停止していたからだ。

 

得するように立ち回るためには、常に思考し続けることだ。論理的に物事を考えることだ。

 

これは思考停止したことへの罰だ。甘んじて受け入れよう。

 

そしてこれをバネにして、人生をよりよく生きて見せるぞ。そうしてこそ、この失敗が報われるというものだ。

 

とりあえず、無駄なツイッターやネットサーフィンはやめる。目標に叶うかどうかで、自分の人生を良い方向に向かうかどうか、で物事の判断をする。

 

そうする。そうしている。