新世紀SOS物語

とある魔法少女の終末旅行

大学入試と頭の良さの関係

「50メートルが速い」と「スポーツが上手い」の関係に似ている

 

と俺の中では結論を出している

 

野球やサッカーで、足が速いことは有利になるけど、永遠100メートル走ばかりやってても、上手くなるわけがない

だから最低限の速ささえ手に入れてしまえば、あとはドリブルなり素振りをした方が上手くなるに決まっている

 

このドリブルなり素振りなどのスポーツの訓練に当たることをやるのが、大学教育でやることだと俺は思っている

 

結論から言うと、俺の思う理想的な大学入試は、最低限基礎的な身体能力である、50メートル走、シャトルラン、反復横跳びに当たるもの、現代文、英語、数学の学力測定して、それにパスすれば誰でも東大に入れるシステムにするべきだ、というものだ

その代わり、東大の授業について行けない人は、さっさと中退するようなシステムにした方が、真の意味で頭のいい人が社会により多く輩出されることなる

 

調べると、現状だと東大京大に入る比率は上位0.5パーセント測定しやすい学力を持った人らしいので、

これを上位20パーセントくらいの測定しやすい学力のある人が東大に入って、そのうち半分は東大の授業について行けずリタイヤしてもらって、上位10パーセント現状の20倍の人数が東大卒の知能レベルになってもらった方が、社会にとっていいだろ、というのが、俺のめちゃくちゃアバウトな意見だ

 

スポーツができることが目的なのに、6年間50メートル走が速くなることだけ訓練していたらそれはやばいだろ、っていうのは誰でも思うことだ

 

それは当然で、例えば、相撲が上手い人が、わざわざ痩せて50メートル走の訓練て速くなって、試験にパスして、また太って相撲の練習する、なんていうのは誰が見てもマヌケだと思う(いや想像すると、マジでマヌケすぎる。誰か止めてやって初めから相撲やらせてやれよ……)

 

大学入試を批判している人たちは、そういうマヌケな現象を指して批判しているのだ

 

ただ問題なのは、「何の」スポーツが「できるか」どうかを測るのって、100メートル走を測るのに比べて、めちゃくちゃ難しいことだ

 

 

だからこそ、大学入試では最低限の学力だけ測って、大学の授業についてこれるかどうかで知性を測るべきだと、個人的には思う

 

受験勉強の苦しさは、6年間ひたすら50メートル走とシャトルランしかさせてもらえず、その成績が上位のやつがスポーツをさせてもらえる、という状態にあるからだ

 

それは苦しいに決まっている

 

さらにいうと、実はほとんどの学校では、50メートル走の訓練すらしていない

受験対策の授業などほとんどせず、役に立たない教科書を板書させるということばかりやっている

さらにきつい校則で、黒髪に染めるだとかグラウンドを80週させるとか、そんな狂ってることをやらしているのがほとんどの学校だ

 

これは、50メートル走をうさぎ跳びで走らせているようなものだ

 

狂ってる

 

ほとどんの学校は害悪でしかない

 

だから行くのなら、せめて50メートル走の訓練をしてくれる私立の進学校に行くべきだ

 

俺の目には、どいつもこいつもうさぎ跳びばかり強制的にやらされている地獄絵図が写っている

 

俺たちは人だ。うさぎなんかじゃない

 

 

この世界は完全に狂っている

 

スポーツやらせてあげて気持ちいい汗流させてやれよ

 

学問やらせてあげて、教養のある人にしてあげて、いい人生送らせてやれよ

 

それが基本的人権ってもんじゃないですか

 

切実にそう思う