新世紀SOS物語

とある魔法少女の終末旅行

情報空間にアクセスする感覚のない人はただ食われるのみ

なぜ読書をする必要があるのか

なぜ英語を学ぶ必要があるのか

なぜ数学を学ぶ必要があるのか

なぜプログラミングを学ぶ必要があるのか

 

最近はそんなことを考えていた

 

その回答として、情報空間の世界で、頭のいいやつに食われないためだという結論が俺の中で出た

 

 

太古の昔、カンブリア紀以前の単純な生物には、視覚がなかったという

 

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

 

(読んでいないが、興味深いと思っている一冊)

 

それまで、暗闇の中で体感に任せてぶつかったやつを何となくで捕食していた時の生物には外殻というものがなく、弱肉強食の世界とは無縁だったとか

 

しかし、何のきっかけか、突然眼が生物に発生し、進化のスピードが急激にスピードが上がり、弱肉強食の世界に突入することになった

 

見える生物が見えない生物を喰らい、見えない生物から見える生物は逃げる

 

眼というアドバンテージは圧倒的で、それがないかどうかが、生存する上でマストな条件となった

 

このカンブリア紀での眼に当たるものが、現代社会では言語だ

 

言語というのは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、という物理空間の知覚する五感に加えて、さらに情報空間を知覚するための人間に備わった第六感である、と苫米地氏が言っていたが、今はそのことが腑に落ちる

 

言語というと、活字を思い出す人がいるだろうが、数学やプログラミング言語、さらに音楽も立派な言語だ

活字だけでは知覚できない情報空間を知覚するために、数式やコードや楽譜があるわけだ

 

ちょうど僕たちに視覚だけなく、聴覚や触覚が備わっているように

 

そして、聴覚がなくなるだけで、かなり困るように、現代社会では数式やコードを知らないことが聴覚がない並みに困ることになる

 

情報空間を知覚する上で、活字は視覚だ。なぜ英語を学ぶべきかというと、日本語よりも英語の方が単純計算で8倍(英語と日本語のネット利用者数の比率はだいたい8:1だ)に広がるからだ。論文が英語で書かれていることを考えれば、その重要度はさらに上がる

数式やコードは聴覚だ。だから大学入試で、数学を入れない大学は大学じゃないと。わざわざ耳栓させて、スポーツをやらせる監督がいるかっての。そんなことを平気でやっているから、日本の大学は終わっていると言われるのだ

 

アメリカのトップ大学では、学生に、大量に本を読ませ、大量にレポートを書かせ、大量にディベートをするという。視覚の徹底的に訓練だ

 

数学もコードももちろん一通り人並み以上にやらせることだろう

 

そういう視覚も聴覚も段違いの連中と戦って、日本の大学が勝てるわけがない

 

 

アメリカのトップの人間が富を独占しているのは、情報空間を世界中の誰よりも知覚しているからだ

 

難しい英語も、難しい数式も、難しいコードも、この世界にある情報の全てだ

 

だからこそ、目の見えない生物を食い放題することができる

 

それに対抗するために、読書と英語と数学とプログラミングをやるべきなのだ、と昨日自転車に乗って、漕いでいる最中に考えていた

 

本も読まないで、テレビばかり見て、物理空間に縛られている、大半の愚民にはおよびもつかないことだろうけど

 

まず初めにテレビを見るのをやめて読書をするところだ

 

情報空間を知覚せよ

そして生き延びるのだ